海外文学読書録

書評と感想

井上梅次『勝利者』(1957/日)

勝利者

勝利者

  • 三橋達也
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★★★

元プロボクサーの山城(三橋達也)は現役時代チャンピオン目前まで行ったが、夢を果たせず今はクラブの支配人をしている。彼には婚約者の夏子(南田洋子)がいた。山城は自分の果たせなかった夢を有望な新人に果たしてもらおうと躍起になっている。そんな矢先、夫馬(石原裕次郎)という逸材と出会うのだった。一方、山城はバレリーナ志望のマリ(北原三枝)を見初めてパトロンになる。

三橋達也は本作を最後に日活を去っている。本作で描かれた石原裕次郎との師弟関係は結果的に世代交代を示唆することになった。このとき三橋は34歳、石原は23歳。同年末には石原の代表作『嵐を呼ぶ男』が公開されることになる。

本作の面白さは人間関係が拗れるところにあるが、諸悪の根源は山城である。彼がマリのパトロンになったせいで一悶着起きた。山城には婚約者の夏子がおり、自分の野望のために結婚を3年も待たせている。それだけならまだしも、山城が支配人をしているクラブは夏子の父親のものだった。端的に言えば、山城は夏子のヒモである。そんなヒモが独断でマリのパトロンになるのだから狂っている。当初は金だけ渡す足ながおじさんみたいな立ち位置だった。ところが、マリが夫馬といい感じになったときはちゃっかり口出しをしている。この時点ではまだ手のかかる娘を見ている感覚だったのかもしれない。しかし、それがいつしか愛に変わってしまった。少なくとも夏子はそう判断しているわけで、山城の自業自得でみんなが離れていっている。やはり若い女のパトロンになったのがおかしい。仮にプラトニックな好意であっても誤解を受ける関係であることは確かだ。ヒモのくせによくこんな綱渡りができるものだと感心した。

山城にとっての最優先はチャンピオンを育てることだった。この執着が実に興味深い。彼はそのために夏子との結婚を3年も先延ばしにしているし、マリよりも夫馬のほうが必要であることを宣言している。夏子からすればチャンピオンを育てることは道楽にしか見えなかった。ところが、山城にとっては男の意地である。ボクシングの世界は勝者と敗者しかいない。チャンピオンベルトを腰に巻いたものが勝者であり、それ以外は敗者である。そういう勝負の世界の掟を過剰に内面化したのが山城の悲劇だった。ボクシングを忘れて新たな人生に目を向けることができない。山城は引退後もチャンピオンという亡霊に取り憑かれている。

面白いのは山城が能力主義者で、夫馬を人間のクズと見なしながらもその力を必要としているところだ。マリを支援した動機とまるで違う。マリに対してはあくまで情けをかけただけに過ぎない。一方、夫馬に対しては己の実存を賭けている。男が男に対して執着する。これって何かに似ていると思ったら『あしたのジョー』だ。すなわち、丹下段平と矢吹ジョーの関係である。見果てぬ夢を弟子に託すというストーリーは昭和の人間が好んだテンプレートなのかもしれない。

劇中劇のバレエシーンが意外と力作で面白かった。北原三枝は日劇ダンシングチーム出身だけあってちゃんと踊れている。このシーンは本職のバレエ団が出演していたが、そこに混ざっていても違和感なかった。