海外文学読書録

書評と感想

三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』(2022/日)

★★★★

コロナ禍の東京。ケイコ(岸井ゆきの)は聴覚障害者でありながらもプロボクサーをしていた。ジムには会長(三浦友和)ほかトレーナーや練習生たちが汗を流している。ケイコは休会の手紙を書くが提出する踏ん切りがつかない。そんな矢先、会長はジムの閉鎖を宣言するのだった。

ケイコは実在するボクサー小笠原恵子をモデルにしている。

ボクシングのストイシズムを映像で表現したところが良かった。この世界は決して華やかではなく、地道にトレーニングして地味に試合するだけである。何か大きな報酬が得られるわけではない。強くなって目の前の相手をぶちのめす。ただそれだけのために辛いトレーニングをこなしているのだ。勝利の果てには日本チャンピオン、あるいは世界チャンピオンも見えてくるだろうが、本作ではそういう世界とは縁がない。黙々とトレーニングして淡々と試合をする。ただそれだけのストイックな世界が描かれている。

聴覚障害者を主人公にするにあたって、音にフィーチャーしたところが面白かった。自宅では紙にペンを走らせる音、氷を噛み砕く音、ギターを奏でる音。ジムではミット打ちの音、縄跳びの音、トレーニングマシンが軋む音。屋外では車が走る音、電車が通過する音、踏切が警報を鳴らす音。どれも観客に強い印象を与えるが、当のケイコには聞こえていない。これだけの音が彼女の世界から排除されているのだ。聴覚障害を無音ではなく騒音によって逆説的に表現する。この手法がボクシングのストイシズムと結びついていてとても良かった。

ケイコは家族、ジム、職場、友人と身内の集まりでは上手くコミュニーケーションが取れている。ところが、そこから外れると途端にコミュニーケーションがぎこちなくなる。たとえば、コンビニで買い物をした際は店員の言っていることが理解できなかった。コロナ禍でマスクをしているから相手の唇が読めなかったのである。しかし、そこを強引に切り抜けている。また、河原で警官に職質された際はこちらの意思を伝えることができなかった。なぜなら警官は手話を解さないから。警官はすごすごと引き下がるのみである。やはり外の世界で日常を送るには不便なのだ。理解者とのコミュニーケーションと一般人とのディスコミュニケーション。その明暗がくっきりと分かれている。

ケイコにとっての強い武器はスマホタブレットだ。スマホでは普通に文字でやりとりできるし、タブレットでは筆談もできる。文明の利器が彼女の生活を便利なものにしていた。これを見ると、スマホの発明はバリアフリーに大きく貢献していることが分かる。健常者にとって便利なものは障害者にとっても便利ということだろう。たとえば、電子書籍バリアフリーの象徴だ。音声読み上げに対応しているから視覚障害者でも読書が楽しめるし、物理的に重くないから身体障害者でも読書が楽しめる。また、老眼で近くの文字が見づらくなっても文字を拡大できるから便利だ。このようにテクノロジーの発展は我々の生活を豊かにしている。

本作はトレーニングや試合など、ボクシングシーンが光っている。本作の岸井ゆきのは、『ロッキー』のシルベスター・スタローンや『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロよりも動きにキレがある。だから両者にはないリアリティが備わっている。トレーニングも試合もカット割りで誤魔化さないところが良かった。