海外文学読書録

書評と感想

クエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019/米=英)

★★★★

1969年。リック・ダルトンレオナルド・ディカプリオ)は50年代に西部劇で活躍していたスターだったが、現在は落ちぶれて悪役や単発ゲストで糊口をしのいでいる。一方、専属スタントマンのクリフ・ブース(ブラッド・ピット)もリックと同じく仕事が減っていた。クリフはリックの雑用係を務めている。リックの隣家にはロマン・ポランスキー(ラファル・ザビエルチャ)とその妻シャロン・テートマーゴット・ロビー)が引っ越してきているが、リックは彼らと面識がない。そんな矢先、リックにマカロニ・ウェスタン出演のオファーが来る。

長尺のわりにはダレ場がなかったし、クライマックスは爽快感があって良かった。『ジャンゴ 繋がれざる者』歴史修正主義っぽい映画だったが、本作は完全に改変のレベルにまで振り切っていて、ここまでやると逆に潔い気がする。つまり、現実の悲劇をハッピーエンドに塗り替えているわけだ。今更こんな事件の再現をしても仕方がないということだろう。現実は現実、フィクションはフィクション。結果的にそういった思い切りがラストの爽快感に繋がっているわけで、アメリカ人のハッピーエンド好きがいい方向に作用したと言える。

リックとクリフの関係が良かった。彼らは兄弟以上妻未満でいつも一緒に行動している。2人の間にトラブルはこれっぽちもない。完璧な信頼関係で結ばれている。リックはリックの役割をこなし、クリフはクリフの役割をこなしている。その上でちょうどいい距離感が保たれているのだ。2人は一蓮托生で落ち目ではあるが、かといってそれが元で喧嘩になることもない。また、俳優とスタントマンだから生活に格差があるが、それも問題にならない。兄弟以上妻未満の強固な関係。男なら誰でも彼らのようなブラザーフッドに憧れを抱くのではなかろうか。2人の関係は男同士の理想であり、見ていて羨ましくなる。

レオナルド・ディカプリオが60年代の俳優に見えなくて浮いていた。顔立ちや目つき、あるいは佇まいが明らかに違う。髭を生やして西部劇の悪役に扮しても現代の俳優にしか見えない。他の俳優はさほど違和感がなかったので、ディカプリオに何らかの問題があるのだろう。上手く言語化できないが、彼だけ根本的に人種が違うような感じだ。ただ、そのおかげで区別が付きやすいのは利点である。どんな格好をしてもひと目で彼だと分かるのだから。一方、ブラッド・ピットマーゴット・ロビーは役柄としてそこまで溶け込む必要がないから気にならない。いつも通りでも問題はないと割り切ることができる。

西部劇の撮影現場にいた子役(ジュリア・バターズ)が良かった。彼女は8歳の女の子だがプロ意識が高い。仕事に対する責任感が強く、見た目に反して小さな大人と化している。そんな彼女が突然泣き出したリックを慰めたり、リックのアドリブを褒めたりするところがいい。特に後者は生粋のプロに認められた感があって爽快である。また、クリフとブルース・リー(マイク・モー)の喧嘩も面白い。クリフにしてやられたことも去ることながら、武道家が舞踏家と呼ばれるのはこの上ない屈辱だろう。ブルース・リーがあまりにブルース・リーらしくて可笑しかった。

終盤の修羅場はやり過ぎとも言える暴力を駆使しているが、だからこそ見ていて溜飲が下がる。理不尽な暴力にはそれ相応の報いを与える必要があるのだ。現実の悲劇をハッピーエンドに塗り替えているからこそ後味がいいわけで、フィクションとして暴力を消費することの効用がここにはある。