海外文学読書録

書評と感想

エメラルド・フェネル『Saltburn』(2023/英=米)

Saltburn

Saltburn

  • バリー・キオガン
Amazon

★★★

2006年。労働者階級のオリヴァー(バリー・コーガン)が奨学金を得てオックスフォード大学に入学する。ところが、彼は学内で浮いていた。そんなある日、オリヴァーは貴族階級の同級生フィリックス(ジェイコブ・エロルディ)と出会う。オリヴァーは夏休みにフィリックスの実家ソルトバーンに滞在するのだった。

パトリシア・ハイスミスの小説『太陽がいっぱい』【Amazon】みたいな映画だった。日本ではアラン・ドロン主演の映画版のほうが有名だろう。だが、監督はおそらく原作のほうを参考にしている。というのも、原作のほうが本作のモチーフである階級差、ホモセクシャル、同一化願望を露骨に出しているから。もちろん、サスペンスであるところも共通している。本作は舞台をマナーハウスに移したリメイクのようだった。

本作の面白いところはオリヴァーの真意がギリギリまで分からないところだ。最初は大学に馴染めない陰キャだと思っていたら、突然真顔でフィリックスの母親(ロザムンド・パイク)を美しいと褒め称えるのである。実は多重人格でこのとき人格が変わったのかと疑ったほどだ。その反面、執事のダンカン(ポール・リス)には舐められているし、フィリックスの従兄弟(アーチー・マデクウィ)にも軽んじられている。オリヴァーの人物像はどうにも掴みどころがない。ひ弱な労働者階級かと思いきや、たまに度し難い図々しさを発揮するのだから。極めつけは虚言癖が発覚するところで、両親に関する嘘がフィリックスにバレたシーンは決定的だった。オリヴァーは何のために嘘をついたのか。また、何のためにフィリックスとその家族に取り入ったのか。実はそこに至るまでにオリヴァーはある異常行動を取っており、ホモセクシャルな愛が原因であることを示唆している。ところが話はそう単純でもなく、屋敷に滞在する口実がなくなってからも強引に滞在しようとしていた。なぜオリヴァーはここまで図々しく振る舞うのか。彼の真意はギリギリまで明かされない。そこが不気味でサスペンスを醸成している。

途中までは面白かったものの、種明かしがあまりにくだらなくてげんなりした。動機については物語を転がす口実だから文句はないが、種明かしの方法が陳腐なのだ。すなわち、昏睡状態の患者に向けて真意を語りかけているのである。種明かし自体は観客への説明として必要だから仕方がないにしても、その方法はもっとスマートにしてほしかった。これでは安手のサスペンスドラマである。やはり探偵役がいないと説明が不自然になってしまうわけで、本格ミステリの形式は合理的だったのだと痛感した。

面白かったシーン。朝食の席でオリヴァーが半熟の目玉焼きを頼んだら、執事が生っぽい目玉焼きを持ってきた。こんなものとても食べられたものではない。オリヴァーはその目玉焼きを突っ返している。ここは執事の敵意が明確に表れたシーンだが、彼の仕草がいかにもイギリス人で面白い。また、フィリックスの従兄弟がオリヴァーにカラオケを歌わせるシーンがある。その歌詞がオリヴァーを揶揄するような代物で面白かった。やはり嫌味な行動をさせたらイギリス人の右に出るものはない。その悪意は京都人よりも露骨である。英国紳士にまつわるディテールが本作の見所だろう。これはこれで一つの文化なので尊重したい。