海外文学読書録

書評と感想

フェルディナンド・バルディ『ガンマン無頼』(1966/伊=スペイン)

ガンマン無頼(字幕版)

ガンマン無頼(字幕版)

  • フランコ・ネロ
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★★★

テキサスで保安官をしているバート(フランコ・ネロ)は7歳のときに父親をシスコ(ホセ・スアレス)に殺された。シスコを裁判にかけるため、バートは彼のいるメキシコに旅立つ。途中で弟・ジム(コレ・キトッシュ)も合流するのだった。2人はメキシコのとある町にたどり着くも、そこはならず者が好き勝手する無法地帯になっている。シスコは町の名士に納まっており……。

マカロニ・ウェスタン。

物語はよくある復讐ものだが、途中で捻っているところが目を引いた。シスコは町を支配する悪党であるものの、単純な悪役ではない。ある事情によってバートは復讐を躊躇することになる。要はシスコとの関係に葛藤があるのだ。最終的には復讐を果たすことになるが、このシチュエーションをもう少し練り込んでいたら傑作になっていたかもしれない。終盤は流されるようにして事を決してしまった。

町を支配するシスコは南米の独裁者の隠喩である。人身売買に手を染め、容赦なく人を殺し、地元民から財産を巻き上げている。屋敷には部下を大勢抱えていた。彼は冷酷無比な無法者である一方、肉親の情という人間らしい感情も持ち合わせている。ここに大きなギャップがあった。そもそもシスコほどの権力者なら女なんて選びたい放題だし、子供を新しく拵えていてもいいはずだ。ところが、彼は新たに子供を作ってない。これはテキサスに残してきた子供(あるいは女)に義理立てしているからだろう。実際、実の息子と再会したシスコは彼を手元に置きたがっている。ここでバートは復讐の動機が薄れてしまった。父を殺した憎き無法者なのに、会ってみたら意外と人間味があるのだから。シスコは息子を殺す気は毛頭ないし、その異父兄だって見逃すつもりでいる。悪党に宿った意外な二面性。勧善懲悪の物語なのに、敵役を単純な悪として描かないところが光っている。

とはいえ、物語としてはこの設定を持て余した感があり、特に中盤はあまり起伏がない。バートもジムも窮地に陥ることがなく、いまいち緊張感に欠けている。終盤でタイマンになるのもジャンルの力学としてそうなっただけである。それまでの流れに見合った強い動機は見当たらない。シスコは南米の独裁者の隠喩だから反乱によって倒されるのは必然だが、そこにバートが乗っかる理由は1ミリもなかった。

銃撃戦はなかなか迫力がある。やはり馬というのは映画において存在感が桁違いだ。大勢が馬に乗って走っているだけで絵になる。我々は馬を日常で見かけないから余計そう感じるのだろう。そして、銃で撃たれた人たちのリアクションがいい。みんな派手に倒れているせいか爽快感がある。西部劇や時代劇など、アクション映画においてはやられ役こそが重要なのだ。どれもこれも銃撃の威力を感じさせるリアクションで迫力があった。スタントマンのみなさんに拍手を送りたい。

特に目立ったヒロインがいないところも目を引く。一応、酒場女や攫われた女などが出てくるが、彼女らと恋に落ちることはない。ハリウッド映画と違ってだいぶ硬派である。この辺が男の映画という感じで好ましかった。