海外文学読書録

書評と感想

山崎貴『ゴジラ-1.0』(2023/日)

ゴジラ-1.0

ゴジラ-1.0

  • 神木隆之介
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★★★

1945年。特攻を逃れて大戸島に来た敷島浩一(神木隆之介)は現地でゴジラに遭遇する。そこの整備兵たちがゴジラに殺されてしまった。戦後。復員した敷島は赤ん坊を連れた大石典子(浜辺美波)と知り合い、3人で同居することになる。敷島は機雷撤去の仕事に就くが、海で再びゴジラと対峙することになるのだった。やがてゴジラは東京湾から銀座に上陸し……。

『シン・ゴジラ』と正反対なことをやっているのは評価できる。ゴジラと戦うのが公的機関ではなく民間人。政治家は一切顔を見せない。内閣総辞職ビームもない。ここぞというときに伊福部昭の音楽を使っている。また、ゴジラ巨大化の原因がビキニ環礁で行われた米軍による核実験で、ゴジラによる東京破壊も地を這うような視点で迫力がある。ただ、好き嫌いで言ったら『シン・ゴジラ』のほうが好きで、本作はドラマ部分がきつかった。率直に言えば茶番だと思う。

戦争で敗れた兵士たちの再生の物語というのがきつい。先の戦争では国を守れなかった。空襲で多くの同胞を失った。戦後復興の最中、再び国難が訪れる。今度は何とかして国を守りたい。ゴジラという巨大な敵を相手に復員兵たちが再起をかける。特に敷島はやる気満々だ。彼はゴジラの銀座襲撃によって典子を失ったし、また、大戸島では自身の怯懦のせいで整備兵を死なせたトラウマがある。それを乗り越えるにはゴジラを倒すしかない。典子と同胞の仇を討ち、己の男性性を回復させる必要がある。この構図がどうにもきついのだ。

太平洋戦争を含む十五年戦争は日本による侵略戦争である。日本兵は長期にわたってアジアの人たちに加害してきた。言ってみれば敗戦はその報いである。アメリカによって正義の鉄槌が下されたわけだ。大勢が殺されたからといって呑気に被害者ヅラしている場合ではない。そしてそのような背景がある以上、ゴジラ襲撃を太平洋戦争と重ねるのは茶番に見えてしまう。国を守る? そもそも先にアジアを侵略したのが悪いではないか。本作は国を守るという視点が強調されていて、日本が侵略戦争を行った事実が隠蔽されている。確かに兵士は国家に無理やり動員された犠牲者だ。しかし、だからといってアジアへの加害が免責されるわけではない。共同体の罪は共同体の成員が負うべきである。たとえ上層部が悪いとしても、選挙でそれを選んだのは当時の国民なのだ。本作は徹底した被害者性で構築されていて違和感があった。

映像はとても良かった。特にゴジラが暴れるシーンが素晴らしく、この部分は『シン・ゴジラ』を超えていたと思う。自宅のテレビで見ても迫力があったのだから、劇場で見たらとんでもない臨場感だろう。ただ、欲を言えばゴジラにもっと暴れてほしかった。破壊したのが銀座とその周辺だけというのが物足りない。我々は巨大生物が引き起こす地獄絵図が見たいのである。近代文明を跡形もなく消し去ってほしかったのである。とはいえ、当時の東京は今よりもスカスカだったから破壊の快楽もそんなになかっただろう。この辺は時代設定の限界が感じられて残念だった。

ゴジラのやられっぷりがいい。口の中に戦闘機がガコンとはまったシーンは笑ってしまった。ちょっと間抜けに見えるところが喜劇的で面白い。