海外文学読書録

書評と感想

リドリー・スコット『ブラックホーク・ダウン』(2001/米)

★★★★

1993年。内戦の続くソマリアに軍事介入していたアメリカ軍は、敵の高官を拉致するため、首都モガディシュに兵を向かわせる。レンジャーやデルタフォースで構成された約100名が、ブラックホークや装甲車に搭乗して作戦を実行。当初は短時間で終わる予定だったが、敵地でブラックホークが撃墜されてしまうのだった。

戦闘シーンに迫力があって良かった。本作で描かれているのは殺しの快楽ではなく、ベトナム戦争のような地獄である。無敵のアメリカ軍が黒い顔をした土人に苦戦を強いられているのだ。しかも、敵は正規軍ではなく民兵である。ゾンビのように次々と湧いてくる土人に煮え湯を飲まされる文明人。ここにマゾヒスティックな快楽が感じ取れよう。

ほとんどアメリカ軍の事情しか描かないところが本作の特徴で、敵については取ってつけたように大国の軍事介入を批判させるくらいである。昨今のPC塗れの映画に比べると潔い。ソマリア人をゾンビと割り切って豪快にドンパチしている。そして、これこそが正しい戦争映画と言えよう。そもそも戦争には客観的な正義なんて存在しないのだから、敵の事情なんて考えず主観に徹するべきなのだ。自分たちには戦争がどのように見えているのか。本作ではそういった主観的リアリズムが、敵と味方の深刻なディスコミュニケーションを浮き彫りにしているのだから面白い。つまり、アメリカ兵にはソマリア民兵が対話不能なゾンビに見えているというわけ。たとえPCに反しても当事者のナラティヴを貫く。こういった姿勢こそが現代の映画界には必要だろう。

戦闘シーンで目を引いたのがRPGの有用性だった。一介の土人兵が地上から戦闘ヘリを撃墜しているし、装甲車も破壊している。もちろん、訓練されたアメリカ兵にも有効だった。このRPG、小国が大国の侵攻に対抗する手段としてすこぶる魅力的な兵器である。

ところが、現代では無人機による一方的な遠隔攻撃が当たり前になり、RPGも当時ほどは役に立たなくなった。無人機の操作員は基地内にあるエアコンのついた部屋に鎮座し、画面を見ながらゲーム感覚で敵にミサイルを撃っている。遠隔操作だから反撃の危険は一切ない。ノーリスクで敵を殺害することが可能になっている。戦争における非対称性がここまで拡大してしまったわけで、現代で迫力のある地上戦を描こうと思ったら過去に題材を求めるしかないのだろう。そう考えるとちょっと寂しいし、旧時代的な本作に愛おしさをおぼえる。

アメリカ兵の死者が19人に対し、ソマリア兵の死者は1000人以上である。アメリカ兵の命は重く、ソマリア兵の命は軽い。文明人と土人とでは命の価値は等しくなかった。主観的リアリズムは我々に残酷な事実を突きつけてくる。