海外文学読書録

書評と感想

アントワーヌ・ローラン『赤いモレスキンの女』(2014)

★★★

パリ。書店主のローランが道端で女もののハンドバッグを拾う。中にはパトリック・モディアノのサイン本や赤いモレスキンの手帳などが入っていた。手帳には好きなことや怖いことをリストアップしたメモ書きがしてある。ローランは当初警察にバッグを届けるも、意を決して自分で持ち主を探すことに。

庭でお昼を食べるのが好きで、赤アリを怖がり、男に変身したペットとセックスする夢を見て、コーラル色の口紅をつけ、パトリック・モディアノからサイン本をもらうロールとはいったいどんな容姿をしているのだろう? ローランは謎めいた一人の女の前にいた。その女は水滴のたくさんついた窓ガラスの向こう側にいるかのようにシルエットがぼやけ、夢の中で出会った人のように、顔の輪郭を思い出そうとすると、すぐに霧の中に包まれてしまう。(p.41)

落とし物を手掛かりにして人探しをする。まるで探偵小説のようなプロットである。面白いのは主人公のローランが中年男性であり、またヒロインのロールも中年女性であることだ。ローランは離婚経験があり、ロールは夫と死別している。中年男性がまだ見ぬ中年女性を追い求める。これが日本のエンタメだと若い男女に置き換えられてしまうわけで、フランス文学は中年にやさしいジャンルと言えよう。そして、僕の知る限りではフランス映画もだいたいこんな感じである。中年同士の淡いロマンス。フランスの文化・芸術って良くも悪くも大人向けという気がする。

主人公が書店主のせいか、本好きにフックするような作りになっているのも特徴的だ。たとえば、人探しの過程でローランがパトリック・モディアノに堂々と聞き込みをしている。個人的な印象では、フランスの小説って実在する作家をキャラクターとして作品に登場させることが多い。ミシェル・ウエルベックの小説がそうだし、ローラン・ビネの小説もそうだ(後者に至っては訴訟リスクがあるような登場のさせ方である)。これもフランスの文化なのだろうか? 文学好きとしては身も蓋もない内輪ネタがたまらない。

ロールの家の書棚がまた良かった。

ロールは見つけるのが難しくたいへんな高値がついている『ヴェネチア組曲』の初版本を持っていた。べつの書棚には小説が並んでいた。文庫本と仮綴じ本のモディアノ作品が多数あった。書棚から何冊か抜きだして確認してみるが、サイン入りのものは見当たらなかった。イギリス、スウェーデンアイスランド推理小説があり、アメリー・ノートンスタンダール数冊、ウエルベック二冊、エシュノーズ三冊、シャルドンヌ二冊、シュテファン・ツヴァイク四冊、マルセル・エイメ五冊、アポリネール全集、旧版のブルトン『ナジャ』、文庫本のマキャヴェリ君主論』、ル・クレジオ数冊、シムノン十数冊、村上春樹三冊、谷口ジローのマンガ数冊。並べ方は無作為で、ジャン・コクトーの『ポエジー』がトニーノ・ブナキスタの『サガ』と隣り合わせにあり、『サガ』はジャン=フィリップ・トゥーサンの『浴室』の横にあり、『浴室』は三方金仕上げのブラウンの革装丁本に接していた。(pp.107-108)

日本語に翻訳されている作家が多いし、何より村上春樹谷口ジローが置いてあるところが目を引く。「本棚を見ればその人が分かる」とよく言うけれど、ロールは典型的なフランス人という感じだ。古典文学でガチガチに固めた文学マニアでもなければ、芸術をファッションとして纏うサブカル女でもない。スノッブに陥らない程度にシャレオツな趣味である(アメリカ文学が1冊もないところがフランス人らしい)。ある程度必読本を押さえたちょうどいい選書。フランスのカジュアルな読書人とはこんな風なのかと感心した。