海外文学読書録

書評と感想

ニコルソン・ベイカー『U&I』(1991)

★★★★

1989年8月。2作目の小説を書き終えた「わたし」は、ドナルド・バーセルミの訃報に思いを馳せる。そして、「わたし」は自分に影響を与えたジョン・アップダイクについて、彼が生きているうちにエッセイを書こうと決意する。ところが、「わたし」はアップダイクが書いた文字の半分も読んでいなかった。

笑ってしまうほど取るに足りないだろうか? 信じがたいだろうか? そうかもしれない。それでも、ぼくが先に、かつて南カリフォルニアで見て触ったことのある音楽家のたこのことを書いていなかったとしたら、アップダイクはジェインの美しいチェロだこのことを書いていなかっただろう。ぼくが印刷物のなかに存在したから、アップダイクの本がほんのわずかではあっても変わったのだと思う。一分か二分、一九八三年のあるとき、恩義の向きが逆転した。ぼくがアップダイクに影響をあたえた。そしてこれがぼくの必要とする空想上の友情のすべてだ。(p.211)

これはジョン・アップダイクへの一風変わったラブレターである。作中ではわりと率直に彼への不満も述べているけれど、それも含めての「愛」なのだろう。「わたし」にとってアップダイクは「20世紀アメリカ文学者の模範」だというのだから、その存在は大きいようだ。そして面白いのは、そんな「わたし」がアップダイクの著作をあまり読んでいないところである。5ページも読んでない本が5冊、20ページ未満が7冊、半分未満が4冊。一方、半分以上読んだのが6冊で、最後まで読んだのが8冊だという。作家が他の作家について語るときって、著作を全部読んだうえで語るのが普通だと思っていたので、この有様には苦笑してしまった。しかも、本人が「読まず語り」と称しているのだからたまらない。僕もアップダイクの小説はあまり読んでないので、実は本書を読むのを躊躇していたのだけど、著者自身があまり読んでないことが分かって安心したのだった。

ちなみに、ピエール・バイヤールは『読んでいない本について堂々と語る方法』【Amazon】のなかで次のように述べている。

教養ある人間が知ろうとつとめるべきは、さまざまな書物のあいだの「連絡」や「接続」であって、個別の書物ではない。(……)教養の領域では、さまざまな思想のあいだの関係は、個々の思想そのものよりもはるかに重要だということになる。
(……)
したがって、教養ある人間は、しかじかの本を読んでいなくても別にかまわない。彼はその本の内容はよく知らないかもしれないが、その位置関係は分かっているからである。つまり、その本が他の諸々の本にたいしてどのような関係にあるかは分かっているからである。(pp.23-24)

僕みたいに大して本を読んでない人間にとってはまったくもって心強い言葉である。それにバイヤールの言っていることが真実なら、「わたし」の読まず語りも正当化されるだろう。時間は有限で読める本にも限りがあるので、読まなくていい本はなるべく読まないようにしたい。

本作を読んで印象に残ったのが、ウラジミール・ナボコフやアイリス・マードックなど、英米の作家がたくさん引き合いに出されているところだ。しかも、「わたし」はティム・オブライエンとパーティで顔を合わせて会話までしている。オブライエンはアップダイクとゴルフをするほどの仲らしい。本作は英米文学好きにとっては、ご当地の文壇事情が垣間見えて興味深いと思う。アップダイクがナボコフの小説の書評を書いてナボコフがどういう反応を示したとか、日本では黙殺されているアラン・ホリングハーストが向こうでは話題になっているとか。他にも知ってる作家の名前がいっぱい出てきてミーハー心がくすぐられた。

読んでいる最中はとりとめのない内容だと思っていたけれど、ラストがビシッと決まっていて読後感が良かった。「終わりよければすべてよし」という言葉は本作のためにある。そう言っても過言ではないかもしれない。本作は英米文学が好きな人だったら面白く読めるだろう。作家の名前がたくさん出てくるので、読書欲が刺激されること請け合いである。僕も今まで以上にどんどん読んでどんどん書いていこうと思う。