海外文学読書録

書評と感想

オットー・プレミンジャー『ローラ殺人事件』(1944/米)

ローラ殺人事件

ローラ殺人事件

  • ジーン・ティアニー
Amazon

★★★★

ニューヨークで広告の仕事をしているローラ・ハント(ジーン・ティアニー)が、猟銃で顔を撃たれて死亡した。ニューヨーク市警のマーク・マクファースン刑事(ダナ・アンドリュース)が捜査する。被疑者は次の3人に絞られた。高名な批評家ウォルド・ライデッカー(クリフトン・ウェッブ)、ローラの婚約者シェルビー・カーペンター(ヴィンセント・プライス)、ローラの叔母アン・トリードウェル(ジュディス・アンダーソン)。しかし、誰が犯人なのか決め手がない。

原作はヴェラ・キャスパリーの同名小説【Amazon】。

フィルム・ノワールとは愛の崇高さではなく、それとは表裏一体にある醜さを描くジャンルなのかもしれない。

本作の場合は嫉妬と独占欲だ。惚れた女を他人に渡したくない。他人に渡すくらいなら殺したほうがマシだ。それなりに社会的地位のある人間でもここまで思い詰め実行してしまう。もちろん、これは完全に犯人が悪いのだが、一方でここまで犯人を狂わせた女の魅力にも思いを馳せてしまう。たとえばニュースを見ていると、痴情のもつれが殺人にまで発展する事件をよく目にする。恋愛は上手くいってるときはいいが、いざ拗れてしまうと綺麗に終わらせるのが難しいのだ。人間は感情の生き物であり、感情の前では理性なんて軽く吹っ飛ぶ。人間関係の機微とはすなわち感情の機微なのだ。事件を起こさないためにもセルフコントロールは大切だが、しかし口で言うほど簡単ではない。嫉妬も独占欲も我々が抱える本能なのである。

僕の知っている人にネットストーカーがいる。そのストーカーは男性で、嫌がる女性配信者に9ヶ月間粘着して精神的に追い詰めていた。彼の粘着は現在も続いている。ストーカー氏によると、自分は事実より悪く言われてるだけで、むしろ相手のほうが公然と侮辱している。謝罪してほしい、と言うのだ。己の加害性を自覚せず、相手の落ち度をあげつらって被害者面しているのである。この自己正当化には呆れてしまった。僕は彼のことを異常者だと思っているが、彼自身はそう思ってないのである。認知が狂っている人間を言葉で説得することはできない。彼のことは法的に対処するしかないのだろう。これもまた愛の醜さの一端で、愛は人をモンスターに作り変える。

ここまで執着するのも対象に魅力があるからだ。愛は盲目とはよく言ったもので、我々は恋におちると理性や常識を失うのである。男にとって惚れた女は漏れなくファム・ファタールであり、一度虜になったら容易に忘れることはできない。そこが愛の崇高さであると同時に悲劇でもあるのだ。愛がなかったら人と人は結ばれない。その一方、強すぎる愛のせいで理不尽な殺人が起きることもある。一般的に恋愛映画は想い人と結ばれてハッピーエンドになるが、フィルム・ノワールは愛の暗黒面を見せつけるようなほろ苦い終わり方をする。そこに言い知れぬ哀愁を感じて病みつきになってしまう。

というわけで、愛について考えさせる映画だった。本作は余計なエピローグがなく、印象的なセリフでぶつっと終わるのがいい。昔の映画らしいストイックな幕引きだった。