海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・キューカー『フィラデルフィア物語』(1940/米)

フィラデルフィア物語 [DVD]

フィラデルフィア物語 [DVD]

  • 発売日: 2011/02/15
  • メディア: DVD
 
フィラデルフィア物語(字幕版)
 

★★★

上流階級の令嬢トレイシー(キャサリン・ヘプバーン)は、婚約者のジョージ(ジョン・ハワード)といよいよ挙式というところまで来ていた。ゴシップ誌の社長は、それをスクープしようとトレイシーの前夫デクスター(ケイリー・グラント)を利用する。デクスターは2年前にトレイシーと離婚していた。さらに、記者のコナー(ジェームズ・スチュワート)とカメラマンのエリザベス(ルース・ハッセイ)がトレイシーの邸宅におしかける。

豪華キャストによるロマンティック・コメディ。

キャサリン・ヘプバーン演じるトレイシー、ケイリー・グラント演じるデクスター、ジェームズ・スチュワート演じるコナーの三角関係を扱っている。形式上はジョン・ハワード演じるジョージも恋愛遊戯の参加者だけど、配役からしてその役割からは排除されている。婚約者なのにそのアドバンテージを活かせず、初めから負けが確定しているのは気の毒だった。映画の場合、役者の格は重要で、キャストを見ただけで誰とくっつくのか予想がついてしまう。そこは映画の欠点かもしれない。

上流階級を舞台にしつつも、家柄や生い立ちに無頓着なところはお国柄だなと思った。アメリカは新興国で階級の流動性が高い。上流階級といっても、だいたいは成金の子弟である。だから下層階級と地続きなのだ。そこは中世から貴族制を形成してきたイギリスと大きく違っていて、このような自由恋愛にもリアリティがある。

トレイシーがデクスターと離婚したのは、彼の人間的弱さが気に入らなかったからだという。デクスターはアルコール依存症だったのだ。デクスターにとって、自分の問題は夫婦の問題だと思っていたので、一方的に捨てられたのはショックだった。彼はトレイシーが弱者に対して偏見を持っていることを責め立てている。確かにデクスターの言い分には同情の余地があるのだけど、しかしアメリカって自己責任の国だから、弱者を嫌うのは驚くに値しない。昔の映画を観ると、マチズモが当然の価値観として流通している。弱者への蔑視はアメリカ社会の病理で、その反動としてPCが勃興してきたのだろう。極端な思想への対抗手段として、反対側からまた極端な思想が出てきた。以降、アメリカは保守とリベラルのシーソーゲームのような状況になっている。中庸を好む僕からしたら、これはなかなかきつい状況だと言わざるを得ない。

トレイシーの妹ダイアナ(ヴァージニア・ウェイダー)がいい味を出していて、見た感じ10歳くらいなのだけど、天真爛漫かつおませな役回りで場を和ませていた。そのおとぼけぶりがキュートである。まるで80年代のシットコムに出てきそうな子供だった。

カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』(1940)

心は孤独な狩人

心は孤独な狩人

 

★★★★

アメリカ深南部の田舎町。聾唖者のシンガーさんは同類の親友と仲良く暮らしていたが、親友はある時期から人が変わったようになり、精神病院に入れられてしまう。以降、シンガーさんは下宿で一人暮らしすることになった。やさしく物静かなシンガーさんは、白人からも黒人からも信頼されている。シンガーさんを中心に、ミドルティーンの少女ミック、カフェ店長のビフ、黒人のコープランド医師、アナーキストのブラントらが交錯する。

いつものように彼女の心には歌があった。彼女はそれを一人でハミングした。

「何をハミングしてるんだい?」

モーツァルトって人がつくった作品よ」

ハリーはかなり良い気分になっていた。彼は敏捷なボクサーのようにサイドステップした。「それって、ドイツ系の名前みたいだな」

「そう思うけど」

ファシストかい?」

「何ですって?」

「そのモーツァルトって人ってのは、ファシストかナチかって言ったんだよ」(p.123)

1930年代後半が舞台。黒人差別やファシズムといった時代性を色濃く感じた。本作では銃撃事件や足の切断、主要人物の自殺など、ショッキングなエピソードが盛り込まれている。しかし物語はそれに執着せず、淡々と運命の日に向かっていく。

シンガーさんが本作の中心人物で、彼は聾唖ゆえに独特の立ち位置を確保している。シンガーさんは誰に対してもやさしく、色々な人たちから相談を持ちかけられるような人物だ。それはもちろん彼が善良で信頼できるからだけど、もうひとつ、聾唖ゆえに余計なことを口にしないことが原因でもある。彼はただそこに存在し、必要があれば筆記で応答している。その安心感は、まるで少女の部屋に置いてあるぬいぐるみのよう。邪な欲望を感じさせない落ち着いた佇まいによって、一種の安全地帯を作り上げている。強いて本作の主人公を挙げるとすれば、それはシンガーさんではないか(訳者の村上春樹はミックを主人公に位置づけているけれど、僕はその見解に反対なのだった)。彼は親友と離ればなれになったがゆえに本質的な欠落を抱えており、終盤、それが決定的になることで重大な化学反応を起こしている。

本作で興味深い人物は、ジェイクとコープランド医師だ。ジェイクは白人のアナーキストコープランド医師は黒人のインテリである。2人に共通しているのは、社会なり他人なりを変えたいということだ。ジェイクは大衆を覚醒させて資本主義を打破したい。コープランド医師は格差社会を是正して黒人を解放したい。つまり、どちらも公平さに基づいた社会変革を望んでいる。終盤では2人が政治的な対話をするのだけど、大筋では価値観が一致しているのに、結局は物別れで終わるところが何とも言えなかった。この手の革命家は、些細な違いが大きな違いになってしまうようだ。2人がファシズムで共鳴したときは、どうなることやらと期待したのだけど。

コープランド医師は優生思想の持ち主である。彼によると、今生き残っている黒人は、過酷な環境を生き延びたエリートなのだという。かつては奴隷として酷使され、解放後は差別に苦しめられ、大勢の黒人が死んでいった。今いる黒人は淘汰された人材の子孫なのだ。ヒトラーが考えるアーリア人とは逆向きだけど、ともすればユダヤ人並に差別される黒人が、ヒトラーと同じ思想に行き着くところが面白い。

さらにこのコープランド医師、中盤ではカール・マルクスについて演説している。カール・マルクスは人種による区分けをせず、あらゆる人間の平等を目指した。黒人はひとつの奴隷制度から解放されたものの、代わりに別の奴隷制度に放り込まれて苦しんでいる。そこから抜け出すにはどうすればいいか? それは「能力に応じて働き、必要に応じて受け取ること」を徹底すればいいと説く。そうすることで、この世のすべての不平等が解決するのだ。現実ではマルクス主義を導入した国家は散々な結果に終わったけれど、しかしカール・マルクスの理念自体は立派で、今でも腐らないと思う。

というわけで、ファシズムと人種差別に揺れる戦前のディープサウスを堪能した。

アレクサンダー・コルダ『美女ありき』(1940/英)

美女ありき [DVD]

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  • 発売日: 2011/02/15
  • メディア: DVD
 
美女ありき(字幕版)

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★★

18世紀末。美しい娘エマ(ヴィヴィアン・リー)が、ナポリに駐在する英国大使ハミルトン卿(アラン・モーブレイ)と結婚する。その後、イギリスはナポレオン統治下のフランスと開戦。ネルソン提督(ローレンス・オリヴィエ)が職務でナポリにやってくる。エマもネルソンも配偶者がいたが、お互いに惹かれ合って愛人関係になるのだった。

つまらない映画だったけれど、ヴィヴィアン・リーローレンス・オリヴィエが不倫の果てにくっついた夫婦であることを踏まえると、随分皮肉な配役だと思う。たとえるなら、『アイズ・ワイド・シャット』【Amazon】でトム・クルーズニコール・キッドマンが夫婦役で共演したときのような感じ(こちらは2人が離婚するのを予告している)。本作は俳優のゴシップを頭に入れたうえで楽しむタイプの作品だろう。たまにこういう映画を見かけるから厄介である。

ハミルトン卿は美術品の愛好家で、彼は序盤、彫刻を指して「過去はどうであれ美しさは永遠だ」と言い放つ。これは彼の女性観でもあった。というのも、結婚相手のエマは庶民のうえ、恋愛関係で何らかのスキャンダルを起こしていたのである。しかし、ハミルトン卿にとって女性は彫刻と同じであるため、過去のことはとやかく言わない。美しければどうだっていいと割り切っている。こういう女性観はなかなか理解し難いけれど、現実において社会的地位の高い男性は高確率で美女と結婚しているわけで、彼らにとって美人妻はステータスシンボルなのだろう。いわゆるトロフィーワイフというやつである。しかし、ここで僕は考える。彫刻の美しさが永遠なのに対し、女性の美しさは一瞬でしかないぞ、と。つまり、人間である以上、歳をとったら嫌でも容色は衰える。上辺の美しさなんてせいぜい10年から15年くらいしか保たない。耐用年数を過ぎたらどうするのだろう? というわけで、夫婦関係におけるルッキズムの限界を見たのだった。

ハミルトン卿は不倫されても仕方がないところがある。妻のことを飾りくらいにしか思っていなかったのだから。それに対し、ネルソン夫人(グラディス・クーパー)は何の落ち度もないのに夫を寝取られているのだから同情してしまう。これは人生の不条理というやつだろうか。いくら身を慎んでも災いからは逃れられない。中盤、エマとネルソン夫人が並んで立っているシーンが残酷で、明らかにエマのほうが若くて美しかった。男ってやつはまったくもう……。やはり不倫は糾弾されて然るべきだと思う。

エマとネルソン提督の不倫が社交界でゴシップになっていたり、ネルソン夫人がエマのことを「英雄に吸いつく寄生虫」と評していたり、不倫に対してある程度批判的な視点があるのは良かった。ネルソン提督の死後、エマがあからさまに落ちぶれていて、これは不貞の罰ではないかと錯覚したくらいである。本作は旧来的なモラルの枠組みが守られているように感じた。

岡本喜八『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971/日)

激動の昭和史 沖縄決戦 Blu-ray

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  • 発売日: 2017/11/03
  • メディア: Blu-ray
 
激動の昭和史 沖縄決戦

激動の昭和史 沖縄決戦

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

★★

1945年4月1日。米軍が沖縄本島に上陸する。大日本帝国陸軍は、温厚な牛島中将(小林桂樹)、冷静な八原高級参謀(仲代達矢)、豪快な長参謀長(丹波哲郎)を中心に迎撃に当たることになった。戦闘は八原高級参謀の提案により、洞窟陣地での防御戦を基本戦術とすることに。しかし戦闘が進むにつれ、多数の沖縄県民が犠牲になる。

この題材については、最近見たNHKスペシャル(「沖縄 "出口なき”戦場 ~最後の1か月で何が~」と「沖縄戦 全記録」)が出色の出来だった。沖縄戦について知りたければ、そのふたつを見たほうがいいと思う。逆に、俳優目当てだったら本作だろうか。特に八原博通役の仲代達矢、散髪屋役の田中邦衛がいい味を出していた。

日本の映画界は伝統的に戦争映画を撮る体力がないので、本作もその点では物足りない。『ザ・パシフィック』や『硫黄島からの手紙』【Amazon】がどれだけ貴重だったか再確認することになった。『日本のいちばん長い日』がなぜ良かったかと言えば、戦場を描いてないからで、日本映画はドラマで勝負するしかないのだろう。本邦において、大規模な戦争映画は概ね駄作になるということが分かった。

本作でもっとも印象に残っているのが、終盤、米軍の戦車隊が迫ってくるなか、老婆が沖縄民謡に合わせて踊るシーン。老婆は発狂し、その裏では親子が心中している。このシーンには、沖縄県民の無念が凝縮されていて迫力がある。本作は全体的にしょぼいけれど、ここだけは目の覚めるような光景だった。

他にも、米軍の上陸を知った女性が「アメリカ殺すー!」と叫ぶシーン、また、大本営の将校が「沖縄は本土のためにある!」と増派を否定するシーンなどが強烈である。前者は『この世界の片隅に』【Amazon】を思い出した。当時の日本人は愛国教育によってあんな風になっていたのだろう。「普通の日本人」を知る手がかりとして興味深い。一方、後者は現代にまで続く沖縄の立ち位置を宣言していてぞっとする。戦中も戦後も、沖縄は本土のために犠牲になっていた。本土に住む我々は、自分たちの業を自覚すべきだと思う。

NHKスペシャルでは、八原博通がインパール作戦牟田口廉也に匹敵する大戦犯みたいに扱われていた。大量の沖縄県民を犠牲にする作戦を立てたのに、戦後までおめおめ生き残ったことについて遠回しに批判されている。それに対して本作は、冷静な知将として彼を描いていた。あくまで軍人としての職務を忠実にこなしていたという感じである。戦犯と知将、どちらが彼の実像なのだろう? いずれにせよ、八原博通は沖縄戦のキーパーソンなわけで、この人物をどう評価すべきかは難しい。

マイケル・ムーア『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002/米=カナダ=独)

ボウリング・フォー・コロンバイン(字幕版)

ボウリング・フォー・コロンバイン(字幕版)

  • 発売日: 2014/02/26
  • メディア: Prime Video
 

★★★

ドキュメンタリー。コロンバイン高校銃乱射事件を入り口に、銃社会アメリカについて多角的に迫っている。マリリン・マンソン、マット・ストーン、チャールトン・ヘストンへのインタビューほか、アメリカの歴史をまとめたカートゥーンなど。

ポップで作為的なドキュメンタリーだけど、観客の興味を引くにはこれくらいしないと駄目なのだろう。実際、飽きっぽい僕でも退屈せずに2時間を乗り切ることができた。日本の場合、硬派なドキュメンタリーを見たい人には「ETV特集」があるので、そこは住み分けができている(「NHKスペシャル」は題材によって質にバラつきがあるのでお勧めできない)。昔の映画とはいえ、依然としてアメリカは銃社会のままなので賞味期限も切れていない。まだまだ鑑賞に堪える映画だと思う。

内容としては犯人像に肉薄するタイプではなく、より深い社会の病巣に切り込んでいて、問題の本質に迫ろうとする意気込みが良かった。そこはワイドショーと一線を画している。アメリカが銃社会になった原因については、皮肉交じりのカートゥーンによくまとまっている。それによると、建国の歴史にまで遡る「不安」が背景にあるようだ。清教徒として迫害されてきた不安。移住先に居座っていたインディアンへの不安。奴隷として使役していた黒人への不安。つまり、他者への不安だ。チャールトン・ヘストンはインタビューで、この国で殺し合いが発生するのは人種問題が原因だと示唆していた。おそらくこれが白人の共通認識なのだろう。白人は異人種が怖い。だから郊外に同類だけの居住地を作っている。マチズモの裏側に拭い難い不安があることが分かって面白かった。

マリリン・マンソンが槍玉に挙げられたのはとんだとばっちりで、SNS時代だったら自殺しかねなかった。こういう表層的な犯人探しをするところは日本もアメリカも変わらないようだ。何か事件が起きると、いつだってロックやアニメ、ゲームといったサブカルチャーが標的になる。マリリン・マンソンはインタビューで、恐怖を抱かせて物を買わせるのがアメリカ社会だと論じていた。これは本質を突いていて、日本でも健康食品や美容整形などがその手法を使っている。人の危機感を煽り立てるのが企業の務めであり、資本主義社会はそうやって我々を食い潰そうとしてくるのだ。僕もこれには気をつけたいと思った。

銃社会を容認する人は、護身用に銃が必要なのだと言う。しかし、現実ではたいていその銃が犯罪に悪用されている。自分がいくら武装していても、不意打ちされたら身を守ることができない。反撃する間もないまま無力化されてしまう。日本でも護身用にスタンガンや催涙スプレーが売られているけれど、それによって身を守った事例は少なく、むしろ犯罪に使われた事例のほうが多い。裏を返せば、武器を売らないことが最大の護身なのだ。そう考えると、銃社会アメリカは不合理だしトチ狂っている。

ところで、全米ライフル協会って日本会議みたいなものではないか。どちらもカルト臭がすごくてドン引きする。