海外文学読書録

書評と感想

陳浩基『網内人』(2017)

網内人

網内人

  • 作者:浩基, 陳
  • 発売日: 2020/09/28
  • メディア: 単行本
 

★★★

香港。若くして両親を亡くしたアイだったが、今度は妹のシウマンが飛び降り自殺してしまう。シウマンは痴漢の被害に遭っており、その件に絡んでネットの掲示板で誹謗中傷されていた。アイは最初に中傷の書き込みをした者を探すべく、ハッカーのアニエに調査を依頼する。

「區さん、この一件の黒幕を炙り出すためには、あんたの妹さんがまだ生きていたときのこととしっかり向き合わなきゃいけない。それがたとえあんたの知らなかったことだったとしても。その覚悟はできてるのか?」(p.94)

IT系のガジェットがてんこ盛りの現代ミステリ。スーパーハッカーの存在はともかく、ネットを使った捜査のやり口はほぼ現実に沿っていて、そこはかとなくサイバーパンク感がある。80年代にSFだったものが、現代では必須のテクノロジーになったということだろうか。犯人はネットから自分の痕跡を消し、探偵は少ない手掛かりから犯人の身元を探る。ケータイの特定、ルーターのハッキング、ドローンによる監視。現代社会で探偵をするにあたって、これくらいのスキルはもはや当たり前なのだろう。今の時代、嵐の山荘なんてやってもリアリティがない。ミステリも新時代に突入した感がある。

メールの文面から犯人をプロファイリングしていくところはスリリングで、テクノロジーは進歩してもやることは変わらないのだなと思った。それを裏付けるかのように、犯人は被害者の身近にいる人物だと推定されている。だいたい顔見知りの怨恨を疑うのが犯罪捜査のセオリーなので、そこは伝統を踏襲しているのだった。ただ、正直学校に場が移ったのは期待外れで、被害者と縁もゆかりもない第三者が炙り出されてほしかった。広大なネット空間から卑近なリアル空間へと舞台が一気に縮小している。高度なIT犯罪が、その実教室の揉め事に過ぎなかったのはいかがなものかと首を捻った。

並行するIT企業のプロットがよく出来ていて、読者の騙し方が上手かった。この手のトリックは一時期乱用され過ぎてあまり好きではないものの、副次的に使うなら問題ないと思っている。件の人物も事件と無関係というわけではないので、これはこれでありだと納得した。

探偵役のアニエはハッカーであると同時に、本業は復讐請負人だった。「悪をもって悪を制す」が彼のモットーである。しかし、ここで僕は疑問に思う。個人の独断で私刑を実行するのは、ネットで誹謗中傷していた連中と大差ないのではないか。アニエも中傷者も行為の源泉には正義感がある。でも、だからといって他人を裁く権利なんて彼らにはない。法治国家においては、どんな理不尽も法に委ねるのが常道である。「悪をもって悪を制す」と言えば格好いいけれど、やってることは個人を誹謗中傷するネット民と変わらないので、そこはちっせえなあと呆れた。

とはいえ、今や香港は中国共産党支配下にある。中国共産党は国民を抑圧する独裁機関だ。彼らの定めた法に従うべきかどうかは一考の余地がある。

エリフ・シャファク『レイラの最後の10分38秒』(2019)

レイラの最後の10分38秒

レイラの最後の10分38秒

 

★★★

1990年のイスタンブル。レイラという娼婦が路地裏のゴミ箱で息絶えていた。ところが、心肺停止から10分38秒もの間、意識だけがはっきりしている。彼女は生い立ちや友人のこと、さらには現在に至る経緯を回想する。

はるか遠く、屋根や円蓋の連なりの向こうには、ガラスのようにちらちら光る海があり、その水中深くのどこか、至るところにレイラがいる――無数の小さなレイラが、魚のひれや海草にしがみつき、二枚貝の貝殻のなかから笑っている。(p.360)

男尊女卑が根強いイスラム社会において、一人の女性がどのように生きたのか。本作では章の区切りに魚マークが使われているのだけど、最後まで読むとその意味が分かるようになっていて、これがなかなか感動的だった。魚マークはレイラが希求するあるものを象徴している。また、改めてカバーイラストを見ると、恐ろしいくらい内容に合致していて感慨深い。こういう仕掛けのある本は驚きがあって好きだ。

娼婦の身の上話なんて大抵は不幸だけど、不幸な話にはそれぞれお国柄があると思う。本作の場合、レイラが育った家庭はめちゃくちゃ保守的で、特に父親はイスラム教の戒律に忠実であろうとしている。彼はレイラについて、将来は全身を覆い隠して家を守る信心深い女に育ってほしいと思っていた。さらに、レイラの家には第一夫人と第二夫人がおり、実の母親が子供を巡って理不尽な目に遭わされている。そしてレイラは6歳のとき、叔父から性的虐待を受けるのだった。おそらくこれが当時のイスラム家庭のスタンダードなのだろう。男尊女卑の宗教に基づく厳格な家父長制。そのせいでレイラと実の母親が割を食っている。

本作は最初の時点で謎が二つある。一つは、レイラがどういう経緯で殺されたのか。もう一つは、レイラがどういう経緯で娼婦になったのか。この二つは話が進んでいくうちに明らかになっていく。ゴミ箱に捨てられた娼婦の遺体には、溢れんばかりの物語が詰まっていた。思うに現代文学の特徴は、こういった市井の人物に焦点を当て、その人生を掘り下げることにあるのだろう。レイラは特に偉業を成し遂げたわけでもない。歴史に名を残すような人物でもない。そこら辺によくいる一般人だ。しかし、そういう人物こそが実は文学の題材にふさわしいのである。司馬遼太郎みたいな英雄史観とは対極にあるところが好ましい。

レイラは随分と不幸な死に方をしたけれど、その人生は孤独ではなく、死後も自分のことを気にかけてくれる友人が5人もいたのは幸いである。それもこれも意を決してイスタンブルに逃げ出した結果なので、人生を切り拓くことは重要なのだ。また、本作は左派のデモや高層ビルの建設など、その時々のイスタンブルの世情が反映されていて、都市をめぐる歴史絵巻のようになっている。オルハン・パムクとはまた一味違った作風だった。

ポン・ジュノ『母なる証明』(2009/韓国)

母なる証明 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2020/07/22
  • メディア: Blu-ray
 
母なる証明(字幕版)

母なる証明(字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

★★★★

母親(キム・ヘジャ)と息子・トジュン(ウォンビン)は2人暮らし。トジュンには悪友・ジンテ(チン・グ)がおり、何かといいように利用されている。ある日、トジュンが少女(チョン・ミソン)を殺害した容疑で逮捕されてしまう。冤罪と確信した母親は、真犯人を探すべく奔走する。

途中までは類型的な物語に見えたけれど、終盤で一捻りあって良かった。2時間もボリュームがあるわりには、人物もエピソードも必要最小限にまとめている。『殺人の追憶』と比べると、だいぶ洗練されているのではないか。ポン・ジュノはこういうスマートな映画も撮れるのだなと感心した。

母親の息子に対する愛情が重く、それには色々な理由が透けて見える。たとえば、儒教社会であるとか、母子家庭であるとか、馬鹿な息子ほど可愛いものであるとか。これらが混じり合ってこその偏愛であり、その盲目的な言動は特別ではないのだろう。しかしそれゆえに、どうしても彼女の造形が類型的に見えてしまう。息子の無罪を信じて必死に駆け回る、その姿に意外性が見出だせない。極端な話、殺人さえも想定の範囲内に収まってしまうのだ。だから、母親から息子へのアプローチという点ではどこか乗り切れない部分があった。

ところが、そんな懸念を覆したのが終盤だ。ここでは息子から母親へのアプローチが行われている。具体的には、家屋の焼け跡で見つけた鍼を渡している。息子は見た感じ軽度の知的障害で、一種のイノセンスとして造形されていた。イノセンスゆえに自分を弁護できない。イノセンスゆえに肝心のことを思い出せない。しかし、件のシーンではまるで母親の犯罪を認知しているかのような錯覚をおぼえさせるのだった。もちろん、これはあくまで錯覚なのだけど、一方で母親と息子の共犯関係が示唆されることになり、一周回った不気味さを醸し出している。母親にとって息子が必要なのは当然。じゃあ、息子はどうなのかといったら、彼にとっても母親は必要不可欠だった。つまり、母親と息子は共依存している。両者が自立しないまま日々を過ごしていくのはグロテスクでぞっとする。

それにしても、相変わらず韓国映画に出てくる警察は無能で、無能ゆえに物語が成立しているところが面白い。母親と刑事が顔見知りじゃなかったら、息子はもっと酷い目に遭っていたのではないか。また、教授や弁護士がやたらと偉そうなところも特徴的だ。これぞ学歴社会の成れの果てであり、お国柄が垣間見える。

アフマド・サアダーウィー『バグダードのフランケンシュタイン』(2013)

★★★★

2005年のバグダード。米軍が駐留する同地では連日爆破テロが起きていた。そんな中、古物商のハーディーが遺体を継ぎ接ぎして『フランケンシュタイン』に出てくるような怪物を作る。そして、その怪物が各地で人を殺して回るようになるのだった。関係者は彼のことを「名無しさん」と呼ぶようになる。

俺は、哀れな人々が冀う声への応答である。俺は、救世主だ。ある意味では、ひたすら待ち望まれてきた者が俺だ。(p.177)

出版社は本作をエンタメとして宣伝しているけれど、これは普通に文芸ものではなかろうか。市中で爆破テロが横行するイラク。「名無しさん」を通して表現された、多様な民族・宗派の集合体としてのイラク。本作は荒唐無稽な設定を用いながらも、同地における血の歴史とアイデンティティに迫っている。

「名無しさん」は多数の遺体の継ぎ接ぎで出来ているから、個人としてのアイデンティティがない。バラバラのアイデンティティの寄せ集めである。そして、その寄せ集めこそがイラク人なのだ。彼が殺人を繰り返す動機は復讐だけど、面白いのはそれを果たすと持ち主のパーツが剥落するところだろう。「名無しさん」が存在し続けるには、新たな遺体からパーツを補充していくしかない。そこに大きな陥穽があって、どこかで止めないと復讐の永久機関と化す危険がある。

当初は善悪二元論的な単純な世界観で復讐を果たしていた。ところが、罪人の遺体を取り込んでから認識が一段階引き上げられる。それは「完全な形で、純粋に罪なき者はいない。そして完全なる罪人もいない」ということだ。たとえば、ある人間を罪人だからといって処罰しようとすると、このパラドックスに直面することになる。復讐の正当性に強烈なブレーキがかかることになる。このパラドックスは「名無しさん」の存在意義にまで迫るもので、本作がただのエンタメではないことを示している。

「存在し続けるために殺す」というのは、テロリストの論理でもあるし、他国に介入して死体の山を積み上げる大国の論理でもある。テロリストも大国も、復讐を大義名分にしながら人を殺し続けている。これは「名無しさん」が陥りかけた罠であり、本作に仕込まれた重要なサタイアだろう。復讐が新たな復讐を呼び、テロも戦争も終わることがない。ここにイラクだけの問題ではない、人類の普遍性が見て取れる。

それにしても、イラクという国はどうにも不幸で、前世紀は独裁者が支配して戦争を起こしていたし、今世紀は今世紀で爆破テロが横行している。命の危険に晒されながら日常を過ごすのは見るからに大変そうで、これぞリアルディストピアだと思った。

ベルンハルト・ケラーマン『トンネル』(1913)

トンネル

トンネル

 

★★★

アメリカ人技師のマック・アランが、大西洋横断海底トンネル鉄道の建設計画をぶち上げる。その計画に資産家のロイド氏ほか、世界中の銀行や大衆が出資するのだった。組織は大量の労働者を雇用し、各地で掘削工事を進める。マックが仕事に熱中する一方、マックの妻モードとマックの親友ホッビーが接近し……。

「私自身一箇の労働者だ。」とアランは喇叭から叫んだ。「トンネルメン諸君、私は諸君と同様一労働者だ。私は卑怯者は大嫌いだ。卑怯者はどしどし行ってしまえ。けれども勇気のある者は残ってくれ。労働は単に腹いっぱい食うための、ただの手段なんかじゃない。労働は理想だ。労働は現代の宗教だ。」(p.300)

技術ユートピアを志向したSFって、想像力のベクトルとしては水平方向と垂直方向に大別できると思う。前者が地上を何らかのネットワークで結ぶ技術。後者が軌道エレベーターやロケットなどで宇宙へ向かう技術。門外漢の印象としては、時代を経るごとに後者がメインになっていったように見える。

このトンネル計画は現代人からするとナンセンスだけど、当時はジェット旅客機なんてなかったから、海底にトンネルを掘って大陸間を結ぶという発想はすこぶる自然だったのだろう。Wikipediaによると、旅客機の歴史は1919年から始まったという。リンドバーグによるニューヨーク・パリ間無着陸飛行が1927年だ。飛行機がメインになるのはまだまだ先である。従って当時は船舶で移動していたわけだけど、作中でも指摘されている通り、海上の移動は天候や波に左右されて危険だ。当時はタイタニック号の事故も記憶に新しい時代である。だから安全かつ迅速な移動手段として、地下鉄道が要望されたのも必然だろう。

物語としてはトンネルの掘削だけでは持たないので、起伏に富んだエピソードをいくつかねじ込んでいる。夫婦のすれ違いとか、大切な人間の死とか、計画の頓挫とか。特に終盤は怒涛の転落劇が待っていて、今読んでも飽きさせないくらいエンタメしている。また、訳文は1930年のもので、慣れるまではレトロな文体に戸惑うものの、復刊するにあたって読みやすいよう校訂してある。だからさほど難儀はしない。エンタメ小説の古典としてとても興味深かった。

トンネル計画によって世界中から労働者が集まるところは、コスモポリタン的な理想が感じられる。技術ユートピアを支えるのが大規模労働であり、大規模労働の行き着く先がコスモポリタニズムなのだろう。職能さえあれば国籍は問わない。むしろ、国籍なんて意味がない。これは現代のグローバリズムに通じるところがあって、労働こそが人々を、そして世界を変えるのだと痛感する。もちろん、個人的に労働は大嫌いだけど。