海外文学読書録

書評と感想

ジャン・ルノワール『大いなる幻影』(1937/仏)

★★★

第一次世界大戦フランス軍のマレシャル中尉(ジャン・ギャバン)がドイツ軍の捕虜になる。彼は貴族のボアルデュー大尉(ピエール・フレネー)やユダヤ人のローゼンタール中尉(マルセル・ダリオ)らと脱走計画を練るのだった。一方、収容所所長のラウフェンシュタイン大尉(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)は同じ職業軍人のボアルデュー大尉に共感しており、彼を特別扱いしている。やがて脱走計画が始動した。

大脱走』【Amazon】の先駆け的な映画。

現代人からすると、ボアルデュー大尉とラウフェンシュタイン大尉の騎士道精神が茶番にしか見えないけれど、当時のヨーロッパにはそういう気風が残っていたのだろう。残念なことに現代では捕虜を虐待するのが当たり前になった。たとえば、イラク戦争ではアメリカ軍がグアンタナモ収容所で捕虜を拷問しており、もはや騎士道精神など欠片も見られない。思うに、第一次世界大戦時にそういう精神が存在していたのは、基本的に同じ域内での戦争だったからだろう。何だかんだでヨーロッパには1000年以上の歴史があり、数え切れないほど戦争を繰り返している。お隣さん同士、戦争には慣れているのだ*1。翻って現代では、「テロとの戦い」を名目に遠い異国の地まで出張っている。地理的にも文化的にもかけ離れているせいか、相互理解が育まれない。本作の騎士道精神は美しすぎてどこか嘘っぽいけれど、だからと言って現代の殺伐とした関係も不穏すぎて歓迎できない。とどのつまり、「昔は良かった」のだと思う。

ラウフェンシュタイン大尉がボアルデュー大尉を贔屓にしたのは同じ職業軍人だからで、階級意識は国境を越えるようである。しかし、この2人には決定的な違いがある。ラウフェンシュタイン大尉は負傷したせいで閑職に回されていたのであり、ボアルデュー大尉のような前線の軍人ではない。彼は死に損ないなのだ。劇中でボアルデュー大尉が崇高な死に方をしたのと合わせて考えると、2人は残酷な対照関係になっている。率直に言って、ボアルデュー大尉の自己犠牲も酷い茶番だ。しかし、これも騎士道精神の一環なわけで、やはり「昔は良かった」のである。

脱走したマレシャル中尉とローゼンタール中尉が寡婦(ディタ・パルロ)の元に匿われるのは出来すぎである。しかし、これは後に出てくる「国境なんて人が作ったものだ」という精神を体現しているのだろう。人と人が結びつくのに国境など関係ない。これに関して面白いのは、マレシャル中尉らが無事脱走に成功するラストだ。2人はスイス領に入ったからドイツ兵に撃たれずに済んだ、つまり、国境に助けられたのだった。結局のところ、人は人が作ったものに縛られる。目に見えないもの(=虚構)がこれほど人の行動を制限するのだから不思議である。

*1:これを象徴しているのが捕虜たちの「抵抗」だ。相手は国際法を守るはずだと信頼しているからこそ無茶できるのであり、そこには隣人への甘えが見え隠れする。