海外文学読書録

書評と感想

ルキノ・ヴィスコンティ『夏の嵐』(1954/伊)

★★★★★

1866年、オーストリア占領下のヴェネツィア。リヴィア・セルピエーリ伯爵夫人(アリダ・ヴァッリ)が、決闘騒ぎを起こしたいとこのロベルト・ウッソーニ侯爵(マッシモ・ジロッティ)を救うため、相手方であるオーストリア軍のフランツ・マーラー中尉(ファーリー・グレンジャー)の元に直談判に行く。ところが、フランツの密告によってロベルトは流刑に処されるのだった。やがてリヴィアとフランツの間に恋が芽生え……。

「愛」をプリズムのように捉えた映画で面白かった。途中まではよくあるメロドラマかと思ったけれど、終盤で人間心理の襞に触れるような感情表現がある。こういう繊細なドラマを高級感溢れる美術を駆使して映像化しているのだからすごい。同時代の映画の中ではぶっちぎりのトップではなかろうか。まさか自分がメロドラマに感銘を受けるとは思わなかった。

リヴィアはイタリア独立派で、フランツはオーストリア軍の将校である。端的に言えば、2人は敵対する立場だ。そんな男女が禁断の愛を育むところが前半の見せ場だろう。実を言うと、不倫そのものは大した問題ではない。なぜなら、貴族社会において恋愛とは人妻や未亡人とするものだから。当時は未婚の女性を恋愛の対象にしてはいけなかったのだ。しかし、相手が敵対する貴族となったら話は別である。それはリヴィアにとってもフランツにとっても命懸けの行為だった。特にリヴィアは政治と恋愛の板挟みに陥って苦悶している。相思相愛なのはけっこうなことだけど、状況からしてどう考えても幸福な結末は望めない。その難易度は『ロミオとジュリエット』【Amazon】に匹敵するほどである。

不倫も火遊びのうちなら軽い火傷で済むけれど、本気になったら待っているのは焼死である。本作の場合、リヴィアがフランツのために手を付けてはいけない金に手を付けるところが運の尽きだった。やはり人間は恋をすると愚かになってしまう。「恋は盲目」とはよく言ったもので、恋をすると視野が狭くなって正常な判断ができなくなる。皮肉にも、リヴィアがフランツを助けたせいで2人は下り坂を転がっていく。

除隊したフランツが自分に会いに来たリヴィアを侮辱するシーンは複雑である。ここでフランツはリヴィアが幻想のフランツに恋をしており、実像を見ていなかったことを非難する。フランツからしたら愛する人に自分の実像を見てもらいたかったのだろう。その不満が露悪的な態度と共に出てしまった。さらに、フランツはリヴィアのことを言葉で執拗に傷つけるのだけど、これなんかは精神的な自傷行為と言えよう。フランツがリヴィアを侮辱するのは自分の状況に対する負い目からであり、本来だったら自分に向けるべき攻撃を他者に転化しているのだ。フランツにとってリヴィアは自分の弱みを握っている相手だから、怒らせたらどうなるのかは自明である。にもかかわらず、侮辱したいという衝動に逆らえない。実際、そのせいでフランツは不幸な結末を迎えているわけで、とかく罪悪感とは恐ろしいものである。

印象的なショットは、リヴィアの背後にいるフランツを鏡に映している場面。そこからフランツが移動してカメラに姿を晒し、別のアングルからまたリヴィアの背後に回ってその背中に触れている。ここは調度品にも味わいがあって目の保養になった。