海外文学読書録

書評と感想

ルキノ・ヴィスコンティ『ルートヴィヒ/神々の黄昏』(1972/伊=仏=独)

★★★★

1864年。18歳のルートヴィヒ(ヘルムート・バーガー)が王位を継承してバイエルン国王になる。彼はオーストリア皇后にして従姉のエリザベートロミー・シュナイダー)に恋をしていたが、彼女からは妹ゾフィー(ソーニャ・ペドローヴァ)を結婚相手として勧められる。一方、ルートヴィヒは音楽家リヒャルト・ワーグナートレヴァー・ハワード)に心酔しており、彼のパトロンになるのだった。ルートヴィヒは政治から目を背け、浪費の限りを尽くす。

4時間は長すぎた。VODだからこちらの好き勝手に休憩できたが、これが劇場だったら最後まで観れなかっただろう。ただ、こういう貴族趣味の映画は現代だと作るのが難しいので、その絢爛な美術を味わうためだけでも観る価値はある。何だかんだ言ってこの監督は画面構成に拘りを感じるし。黒澤明スタンリー・キューブリックと肩を並べるレベルなので目の保養になった。

近代社会における君主とは多かれ少なかれお飾りに過ぎない。もちろん、個人では誰よりも権力を持っている。しかし、だからと言ってすべてを思い通りにすることはできない。君主の下には議会があり、その議会が君主について「統治能力がない」と判断したら首をすげ替えられてしまう。また、国民の支持も無視できず、彼らにそっぽを向かれたら最悪処刑されてしまう。結局のところ、君主の地位は様々な思惑のバランスの上に立っているのだ。ゆえに、浪費と奇行に明け暮れたルートヴィヒが排除されるのも無理はない。民衆よりも君主のほうがよっぽど振る舞いに気をつけるべきである。たとえば、日本の皇室を見ているとそれを強く感じる。お飾りはお飾りとして清く正しく輝いていなければならない。

ルートヴィヒはワーグナーのためにバイロイト祝祭劇場を建設した。それには多額の税金が投入されている。今でこそこの劇場は貴重な文化遺産になっているものの、当時の人からしたら余計なハコモノに映ったことだろう。税金の無駄遣いだと憤慨する人がいても不思議ではない。たとえば現代日本でも、東京オリンピック開催のために国立競技場が新築されたばかりだから、この話は身につまされるものがある。政治家は盛んにレガシーを強調しているが、果たして投入した税金以上の働きをするのだろうか。毎年赤字を垂れ流すのではないか。そこがハコモノ行政の難しいところで、先の見通しが立たないからこそ不安になる。

ルートヴィヒは君主ゆえに孤独で、孤独ゆえに他者に期待しすぎているところがある。ワーグナーを厚遇したのもそうだし、侍従と同性愛的な親友関係になったのもそうだ。そして、それらの根源にはエリザベートへの思慕があった。彼女と結ばれなかったからこそ数々の奇行に走ったのだ。僕みたいな庶民からしたら、君主として贅沢な生活を送れるのは羨ましい。しかし、それゆえに孤独に耐えなければなれず、銀の匙をくわえて生まれてくるのも良し悪しだと思う。