海外文学読書録

書評と感想

ギレルモ・デル・トロ『パンズ・ラビリンス』(2006/メキシコ=スペイン=米)

★★★

スペイン内戦で父を亡くしたオフェリア(イバナ・バケロ)が妊娠中の母(アリアドナ・ヒル)と再婚相手の元へ。相手はフランコ政権軍のビダル大尉(セルジ・ロペス)だった。オフェリアは森の中の砦で暮らすことになったが、義父も母も構ってくれず孤独に暮らす。友好的なのは家政婦のメルセデスマリベル・ベルドゥ)くらいだった。おとぎ話の世界に没頭するオフェリア。ある夜、彼女の前に妖精が現れる。妖精に導かれてたどり着いた迷宮にはパン(ダグ・ジョーンズ)がいて……。

ファンタジーであることを差し引いたとしても、画面の質感が嘘っぽくて拍子抜けした。CGをふんだんに使っているせいか、建物やオブジェに現実感がない。砦も森もCGで構成されているのではないかと疑ってしまう。スペイン内戦という遠い過去を舞台にしているから敢えて現実味のない質感にしたのだろうが、それにしたってこんな映像は見たくなかった。現代映画の悪い部分が如実に表れている。特に最近はレトロ映画ばかり観ていたから余計そう感じるようになった。荒くてもいいから現実感のある映像が見たい。地に足のついた映像で打ちのめしてもらいたい。あるいはマーベル映画くらい嘘に振り切っていたら違う感想になっていたかもしれないが、そこは資本の差があるから仕方がないのだろう。ともあれ、本作の映像はかなりきつかった。

オフェリアの孤独とビダルの孤独が際立っていた。オフェリアには自分に愛情を注いでくれる人も、自分の幻想を信じてくれる人もいない。理解者のいないまま冒険する彼女は孤独である。一方、ビダルは暴力の化身といった感じで、敵と目した人間を容赦なく殺害していく。ビダルが欲しがっているのは自分の名を受け継ぐ息子だけ。死と暴力が渦巻く森の中で新しい生命を待ち望んでいる。ここで面白いのはビダルが持っている時計だ。それは壊れていて針が動かない。針は父が死んだ時刻で止まっている。時計は勇敢なる死の手本としてビダルに残されたものだった。ビダルは自分の息子に同様のものを残したがっていたが、その願いは結局叶わない。オフェリア同様、ビダルの生も孤独である。

オフェリアは子供だから愚かで、愚かゆえに状況判断を間違える。周囲の大人から見るとオフェリアのやっていることは筋が通らない。何もかも支離滅裂に見える。しかし、彼女の主観では切実な使命感があり、すべては状況を良くしようと思ってやっていることだった。このギャップがせつない。周囲に理解者がいないから独りで戦っている。オフェリアはここにいたくない、どこか遠くに行きたいと思っているが、現実世界でそれは叶わない。自分の願いが叶わないという意味ではビダルと同じである。本作はオフェリアとビダルが対の関係になっており、現実と幻想の両面から2人の孤独を浮き彫りにしている。その構成には大いに感心した。

すべてが嘘っぽい本作ではあるが、ビダルの持つ拳銃と時計は実在感があった。拳銃は着実に人の命を奪っているし、時計は終始沈黙を続けている。ビダルの暴力性と孤独が表裏一体になっていた。