海外文学読書録

書評と感想

ジョン・ケネディ・トゥール『愚か者同盟』(1980)

★★★

ニューオリンズ。30歳のイグネイシャスは肥満体の子供部屋おじさんで、どこにも発表するあてのない論文を子供用レポート用紙に書き殴っていた。そんな彼も母親の不始末で外に働きに出ることに。アパレル会社に就職するも、黒人たちのデモを扇動してクビになる。その後はホットドッグの屋台を引くことになるが……。

「無垢な僕を最初にあの穴蔵みたいなバーに引き込んだのは母さんじゃないですか、ていうか、すべてはあのたちの悪いじゃじゃ馬マーナのせいだ。悪事を重ねるあの女は罰を受けるべきです」

「マーナ?」ライリー夫人はすすり泣いた。「彼女はこの街にいないでしょ。あの子のせいでリーヴィ・パンツ社をクビになったとか、くだらない話はもうたくさん。もうそんな話にはだまされません。あなたは頭がおかしいの、イグネイシャス。わが子ながらあえて言わせてもらうけど、あなたは頭がおかしい」(pp.463-464)

ピュリッツァー賞受賞作。

作品は1960年代に完成していたが、その後著者が自死し、世に出たのは1980年ということらしい。

主人公のイグネイシャスはいわゆるアスペルガー症候群である。修士号を持つ秀才でありながらも、こだわりが強く、独自の世界観でものを見ており、そのせいで周囲とトラブルを起こしている。彼の破天荒ぶりは差し詰めニューオリンズドン・キホーテといったところ。『コンビニ人間』【Amazon】や『推し、燃ゆ』【Amazon】に先行する発達障害文学として興味深かった*1

イグネイシャスは発達障害ゆえに社会から疎外されており、家にひきこもって論文を書いたり、テレビを観たりしている。これは現代の発達障害者のライフスタイルとほとんど変わらない。というのも、彼らも家にひきこもってSNSに短文を投稿したり、VODでアニメを観たりしているのだ。そして、他者と接点を持った途端トラブルを起こすところも共通している。イグネイシャスは自身の世界観と社会規範とのズレによってトラブルになり、それが心浮き立つ冒険となって読者を楽しませることになった。それに対して現代の発達障害者は、ネット上でのトラブル(SNSユーザー同士のしょうもない口論)が裁判沙汰に発展し、マニアックなギャラリーを楽しませる結果となっている。本作が示す発達障害の解像度は高い。大昔に奇人・変人と呼ばれた人たちは、現代の精神医学に照らせばほとんど発達障害の診断を与えられるだろう。かのドン・キホーテもおそらくアスペルガー症候群だったはずで、医学の進歩は人間の謎を大きく解明することになった。

物語の序盤において、イグネイシャスは母親と共依存的な関係にある。母親は息子を甘やかし、彼のひきこもりライフをサポートしているのだ。作中ではさりげなく家が子宮にたとえられている。イグネイシャスは子宮で保護されている大きな胎児というわけだ。本作が面白いのは、イグネイシャスの奇行が期せずして共依存的な親子関係の解消に向かうところだろう。すなわち、母親からの自立である。そして、その自立に必要なのが恋人の存在だった。ヘテロセクシュアルの男性が、異性の恋人を得ることで親離れする。家(子宮)を出てニューヨークに向かうことになる。マザコン男性に必要なのは何よりも異性の恋人。60年代にそれを示唆しているところが鋭かった。

本作は共産主義労働争議をネタにしたブラック・コメディの要素もあり、その部分も読んでいて楽しい。会話がいちいちユーモラスでツボにはまる。こんなことはP・Gウッドハウスジーヴスもの以来だった。こういう小説を現代の翻訳で読めるのは幸せである。訳者の木原善彦は素晴らしい仕事をした。

*1:ただし、本作のイグネイシャスは飼い犬が死ぬまでは普通だった。そういうフィクショナルな要素が混ざっている。