海外文学読書録

書評と感想

ロマン・ポランスキー『水の中のナイフ』(1962/ポーランド)

水の中のナイフ(字幕版)

水の中のナイフ(字幕版)

  • レオン・ニェムチック
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★★★★

アンジェイ(レオン・ニェムチック)とクリスティーナ(ヨランタ・ウメッカ)は裕福な夫婦。アンジェイが車を運転していると、前方に若者(ジグムント・マラノウッツ)が飛び出してきた。若者はヒッチハイクで旅をしているという。夫婦は若者を車に乗せ、目的地であるヨットの係留地に。アンジェイは若者をヨットに誘う。

登場人物は3人。主な舞台は湖上のヨット。これで90分もたせたのがすごかった。

本作は男性性をめぐる寓話である。金持ちで年長者のアンジェイは、ヨットの上で船長を気取り、妻や若者にあれこれ命令している。「なぜ命令する」と尋ねる若者に対し、アンジェイは「2人いればどちらかが船長だ」と言い放った。アンジェイは自分が若者より優越的な地位にいることを宣言したのである。つまり、男が2人いたらどちらかが上に立つしかない、それが男性性の宿命なのだ。アンジェイが若者をヨットに乗せたのは自分の権勢を見せつけたいからであり、頭ごなしに権力を振るいたいからである。若者はアンジェイに抵抗するも敵わない。ヨットの操り方は分からないし、腕っぷしでも負けてしまった。そして、紅一点のクリスティーナはそんな2人の争いから距離を置いている。陸の上だったら無難に過ごせそうな3人。それがヨットに乗り合わせることで擬似的な家父長制家族ができあがっている。

アンジェイにとって気になるのは若者の持っているナイフだ。若者はこのナイフで森を切り開いてきたと豪語している。ナイフは大ぶりでなかなか威圧的だ。もし喧嘩になったとき使われたらただでは済まないだろう。言ってみれば、若者が持つ男性性の象徴である。それを本能で察知したアンジェイはナイフを勝手に持ち出す。そして、紆余曲折を経てナイフは水の中に落ちる。怒った若者はアンジェイに殴りかかるも敵わない。ナイフを失って分かったのは、若者が弱くて何もできない坊やであることだ。ナイフは男性性の象徴である。男性性の本質とはすなわち虚勢である(ナイフが威圧的な形状をしていることに留意されたい)。ナイフを失って裸になってみれば、問われるのは人間としての地力だった。丸裸にされた若者は自分の無力さを受け入れる。そうすることで真の意味での男になる。若者がクリスティーナと寝るのはその象徴だろう。本作は子供がいかにして一人前の男に成長するかを描いている。

完璧な大人に見えたアンジェイにも男性性の呪いはつきまとっている。物語の終盤、本当は警察に行くのが怖いのに怖くないフリをしていたのだ。彼の虚勢を容赦なく暴き出すのが妻のクリスティーナであり、彼女は男性性から遠く離れた存在だからこそ男性性の虚妄を喝破できている。男性性は権力を志向するし、権力を志向するからには虚勢を張らなければらない。本作はたった3人の登場人物でこれだけのドラマを展開していて素晴らしかった。