海外文学読書録

書評と感想

スティーヴン・クレイン『勇気の赤い勲章』(1895)

★★★★

南北戦争。英雄に憧れる若者ヘンリーが北軍に志願して入隊する。軍隊の内情は自分の想像とは大きく違っていた。ヘンリーは一刻も早く戦闘したくてうずうずしていたが、いざ始まると連隊は崩壊、ヘンリーも戦場から逃走する。ところが、戦列は踏みとどまって勝利を収めていた。ヘンリーは自分のことを哀れんでその場から立ち去る。途中、ヘンリーは負傷した兵士を見て、自分にも傷、すなわち勇気の赤い勲章が欲しいと願う。

男は戦闘で変身を遂げるのだ、と若者は教わっていた。そうした変身によって救われるのだと思っていた。それが、こうして待機させられるのだから苦しくてしかたがない。気持ちがはやった。将軍たちの作戦に一貫性がないことの証ではないか。のっぽの兵士に文句を言い始めた。「もういい加減にしてくれよ」と声を上げた。「足が疲れるばっかりで、なんの意味があるんだ」。青服の軍の存在を誇示するだけの作戦だと知っていた彼は、宿営地に戻りたかった。そうでないのなら戦闘に入り、自分を疑っていたなんてばかだった、実は自分は昔ながらの勇気ある男だったのだと知りたかった。今の引き延ばされた状況は耐えがたいものだった。(Kindleの位置No.491-497)

後年の西部劇に通じる「男らしさ」の問題が出てきて興味深かった。南北戦争当時はまだ戦争がロマンチシズムと結びついていた時代のようで、ヘンリーは戦場で活躍して英雄になりたいと願っている。英雄譚の登場人物として語り草になるのが夢だった。しかし、実際はそうは上手く行かない。近代の戦争とは古代ギリシャのようには行かず、末端の兵士からしたらいつ戦闘が始まるか分からない。また、始まったら始まったで戦況も判断できず、負けたと思って逃げたら実は勝っていたなんてことも起こっている。それもこれも南北戦争ではライフル銃が登場しており、これまでの戦争よりも格段に兵士の死傷者数が増えているのだ。さらに、塹壕戦が始まったのもこの時期である。従来よりもより「死」が身近になった戦争。そんななか、戦闘を通じて「男らしさ」を獲得するのも困難で、古代ギリシャのような牧歌的な英雄譚からは程遠くなっている。

ところが、本作では臆病なヘンリーが一転して英雄になってしまうのだから面白い。彼は連隊の旗手になり、突撃の先頭に立って軍旗をはためかせていた。このおかげで彼は「最高の兵士」と評されることになる。逃亡兵から英雄へ。ヘンリーはなまじっか成功してしまったために自己肯定感が上がり、ロマンチシズムを再生産することになった。「男らしさ」の体現者になったのだ。臆病な心を捨て、危険に向かって果敢に立ち向かう。立ち向かった末に栄光が待っている。このように「男らしさ」の規範とは生存者バイアスの先にあるもので、その後ろには無数の屍が転がっている。ヘンリーはたまたま生き延びただけであり、そういった運のいい者たちが戦場のロマンチシズムを支えているのだ。そう考えると、「男らしさ」とはとても厄介なものだと思う。

現代では「有害な男らしさ(Toxic Masculinity)」が話題だが、これはもう総力戦の時代ではないからだろう。一般の男性は戦争を経験することもなく、平和な社会で平凡な人生を送るしかない。むしろ、「男らしさ」を隠して生活することが奨励されている。戦争の危険から遠のいたからこそ男性権力が衰退しているのだ。これがいいことなのか悪いことなのかは分からない。ともあれ、現代では「男らしさ」の地位は格段に下がり、代わりにフェミニズムが台頭した。フェミニズムによって男性たちは着実に去勢されている。この流れに対し、我々はどう対応していくべきなのか。本作はマスキュリズムを考えるための格好のテキストだと言えよう。