海外文学読書録

書評と感想

クリスティーナ・ダルチャー『声の物語』(2018)

★★

アメリカ。ピュア・ムーブメントを支持する大統領が政権をとったことで、女性の人権が著しく制限されることになった。女性は家庭に押し込まれたうえ、手首にワードカウンターをつけられて1日100語しか発話できないようにされている。元認知言語学者のジーンもそんな不自由な生活を強いられていたが、ある時、政府から研究への参加を要請される。ジーンはある条件と引き換えにそれを引き受けるが……。

一家の男たちがソニアのことをかわいいと褒めるのが憎らしい。ソニアが自転車で転んだとき、慰めるのは男たちなのが憎らしい。男たちがお姫様や人魚の作り話をソニアに聞かせるのがねたましい。自分は見たり聞いたりするだけなのが腹立たしい。(p.38)

『侍女の物語』本歌取りしたフェミニストSF。

序盤はその抑圧的な設定が上質なディストピア文学のようで面白かったけれど、ジーンが研究を始める中盤から面白さが逓減していき、ラストはちょっとあり得ないオチだった。そんなことで社会を覆すことはできないだろう、みたいな感じなのだ。ディストピア文学の名作がたいていバッドエンドなので、その逆を狙ったのかもしれない。1日100語しか喋れないという設定が新鮮だっただけに、その後の尻すぼみが残念だった。

男は外で働き、女は家で家庭を守る。聖書によると、女は男から造られた存在だから、男に従うのが当然だ。本作のピュア・ムーブメントはそういった時代錯誤の思想を振りかざしており、その土台にはキリスト教原理主義がある。宗教が女性差別の原因になっているところは、30年前に書かれた『侍女の物語』と同じだ。アメリカでは依然として原理主義の存在が重くのしかかっているのだろう。日本で言えば、神道系の日本会議に相当するのかもしれない。ともあれ、女性に対して「従順な女」という役割を押し付けるのがグロテスクで、しかもその手段として言葉を奪うのは残酷すぎる。

個人的には最近フェミニストに対する不信感が根強い。KKO(キモくて金のないおっさん)と呼ばれる弱者男性に差別的な文句をぶつけたり、献血ポスターの漫画イラストに妙ちくりんな難癖をつけたり、自身がPCの立場にいるのをいいことに男性を抑圧している。おまけに、フェミニストは党派性が強く、仲間の不祥事には寛容だ。たとえば、2016年にある男性フェミニストが不倫騒動を起こしたけれど、フェミニストは誰も彼のことを批判しなかった。それどころか、彼の立場に同情する者まで出ていた。まさに「不倫は文化だ」と言いたげな雰囲気だった*1

本作でも主人公のジーンが不倫してるけれど、その行動は概して肯定的に描かれており、都合のいい三角関係はまるでハーレクインのようである。その背景には、家父長制への不満があるのだろう。貞淑な妻という役割を敢えて捨てることで、旧弊な価値観を打破しようというわけだ。そのためには、配偶者の感情を蹂躙することも厭わない。婚姻という契約関係を蔑ろにすることも辞さない。個人的には、不倫する人間を人として信用するなんてできないけれど、どうやらフェミニストは違う考えのようである。このギャップはなかなか面白い。

ところで、僕は最近マスキュリズムに興味があって、その前段階としてフェミニズムを勉強する必要があると思っている。自分は女性の権利拡張よりも、男性の生きづらさにコミットすべきなのではないか。突然そういう使命感が降って湧いたので、しばらくは関連する文献を漁る予定である。何かいい本があったら教えてほしい。

*1:そもそも、リベラルというのは理想を語る立場なのだから、その思想で飯を食っている人間は清廉潔白であることが求められる。でなければ発言に説得力が出ない。