海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015/豪)

★★

核戦争によって荒廃した世界。元警官のマックス(トム・ハーディ)が、武装集団に捕らえられて砦に連れて行かれる。そこはイモータン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)を首領とした独自のコミュニティだった。ジョーは資源を独占し、自分を崇拝させることによって民衆を支配している。輸血袋にされたマックスは、ジョーの配下だったフュリオサ(シャーリーズ・セロン)と、ジョーの所有する5人のワイブスと共に逃避行することに。

このシリーズは根強いファンがいるようだけど、僕にはいまいちその良さが分からない。B級テイストがウケてるのだろうか?

この世界の住人は過酷な状況に置かれていて、マズローが言うところの「生理の欲求 」すら満たせてない。水は配給だし、土地が荒廃してるから食料も自給自足できない。民衆はただ口を開けてジョーが落としてくれる物資を待つのみである。さらに、ウォーボーイズというスキンヘッドの戦闘集団がいるのだけど、彼らは放射能の影響によって長生きできない。生存のために輸血袋を必要としていて、ジョーのために命をかけて任務を遂行している。そして、極めつけはワイブス(子産み女)の存在だろう。彼女たちはジョーの子供を産むためのマシーンであり、その女性性の扱いは『侍女の物語』を彷彿とさせる。

でまあ、観ていて疑問に思うわけだ。こんな状況になって人類を存続させる意味なんてあるのか、と。食うや食わずの状況で、何のために生きてるのか分からない。やってることと言ったら、車やバイクを駆っての縄張り争いくらいである。ただ生きるために生きるだけの虚しい人生。こんな状況のなか、果たして子供を産んで種の保存をする必要があるのか? 一切合切を捨てて滅んだほうが幸せなのではないか? 一度文明の味を知ったら原始的な生には戻れないわけで、この状況はかなりきつい。

強者男性のジョーが、弱者男性のウォーボーイズと子産み女のワイブスを支配している。これぞ人間社会の縮図といった感じで、本作がフェミニスト映画だと言われるのも納得である。現実では弱者男性(インセル)と弱者女性(フェミニスト)が血みどろの争いを繰り広げているけれど、両者が打倒すべきは上に君臨する強者男性なのだろう。弱者同士で潰し合うのは支配者の思うツボである。そういう不毛な図式を分かりやすく示したところは面白かった。

本作は映像がなかなか良くて、昼は砂漠を中心とした黄土色の風景が広がり、夜は空も大地も紺碧に染まったモノトーンの風景が映し出されている。全体的に色が少ないところがいい。また、敵の合理性に欠けたけばけばしい造形も味わい深い。見ていて日本の暴走族を思い出した。

それにしても、ウォーボーイズに混ざっていたギター男は何だったのだろう? ネックの先端から火を吹き出したのが本作のハイライト。妙に印象に残っている。