海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・キューカー『フィラデルフィア物語』(1940/米)

★★★

上流階級の令嬢トレイシー(キャサリン・ヘプバーン)は、婚約者のジョージ(ジョン・ハワード)といよいよ挙式というところまで来ていた。ゴシップ誌の社長は、それをスクープしようとトレイシーの前夫デクスター(ケーリー・グラント)を利用する。デクスターは2年前にトレイシーと離婚していた。さらに、記者のコナー(ジェームズ・スチュワート)とカメラマンのエリザベス(ルース・ハッセイ)がトレイシーの邸宅におしかける。

豪華キャストによるロマンティック・コメディ。

キャサリン・ヘプバーン演じるトレイシー、ケーリー・グラント演じるデクスター、ジェームズ・スチュワート演じるコナーの三角関係を扱っている。形式上はジョン・ハワード演じるジョージも恋愛遊戯の参加者だけど、配役からしてその役割からは排除されている。婚約者なのにそのアドバンテージを活かせず、初めから負けが確定しているのは気の毒だった。映画の場合、役者の格は重要で、キャストを見ただけで誰とくっつくのか予想がついてしまう。そこは映画の欠点かもしれない。

上流階級を舞台にしつつも、家柄や生い立ちに無頓着なところはお国柄だなと思った。アメリカは新興国で階級の流動性が高い。上流階級といっても、だいたいは成金の子弟である。だから下層階級と地続きなのだ。そこは中世から貴族制を形成してきたイギリスと大きく違っていて、このような自由恋愛にもリアリティがある。

トレイシーがデクスターと離婚したのは、彼の人間的弱さが気に入らなかったからだという。デクスターはアルコール依存症だったのだ。デクスターにとって、自分の問題は夫婦の問題だと思っていたので、一方的に捨てられたのはショックだった。彼はトレイシーが弱者に対して偏見を持っていることを責め立てている。確かにデクスターの言い分には同情の余地があるのだけど、しかしアメリカって自己責任の国だから、弱者を嫌うのは驚くに値しない。昔の映画を観ると、マチズモが当然の価値観として流通している。弱者への蔑視はアメリカ社会の病理で、その反動としてPCが勃興してきたのだろう。極端な思想への対抗手段として、反対側からまた極端な思想が出てきた。以降、アメリカは保守とリベラルのシーソーゲームのような状況になっている。中庸を好む僕からしたら、これはなかなかきつい状況だと言わざるを得ない。

トレイシーの妹ダイアナ(ヴァージニア・ウェイダー)がいい味を出していて、見た感じ10歳くらいなのだけど、天真爛漫かつおませな役回りで場を和ませていた。そのおとぼけぶりがキュートである。まるで80年代のシットコムに出てきそうな子供だった。