海外文学読書録

書評と感想

トレイ・パーカー『サウスパーク 無修正映画版』(1999/米)

★★★

アメリカ北部の田舎町サウスパーク。スタン(トレイ・パーカー)、カイル(マット・ストーン)、カートマン(トレイ・パーカー)、ケニー(マット・ストーン)がテレンス&フィリップの映画を観に行く。テレンス&フィリップはカナダの下ネタ芸人で、子供たちに人気だった。映画を観た子供たちは目に見えて言葉が汚くなり大人たちの顰蹙を買う。やがて大人たちは抗議活動を起こし、遂にはカナダとの戦争にまでエスカレートする。一方、地獄ではサタン(トレイ・パーカー)とサダム・フセイン(マット・ストーン)が地上の征服を企んでいた。

表現の自由を題材にする場合、敢えて反PCな表現をすることが一周回ってPCになる。そのことをこんなに早くから実践していたのに驚いた。

日本においても近年、フェミニストによる表現規制が盛んである。2019年に『宇崎ちゃんは遊びたい!』【Amazon】の献血ポスターが炎上したのは有名だろう。ポスターのデザインが過度に性的ではないかと物言いがついた。以降、フェミニストは性差別撤廃を旗印に公共の場からおたく的表現を排除しようと躍起になっている。最近では日経新聞に広告を載せた『月曜日のたわわ』【Amazon】が記憶に新しいところだ。フェミニストたちはSNSで、このような性的な漫画を新聞で広告すべきではないと文句をつけた。フェミニストはとにかく胸の大きな女性を嫌う。肌の露出も嫌う。それらがアニメ絵として公共の場に出てくると抗議の声を上げるのである。フェミニスト、特にTwitterで活動するツイフェミは矯風会の流れを汲んでおり、「男性=加害者/女性=被害者」というイメージ戦略によっておたく的表現を叩いてきた。フェミニストの多くは左派であり、本来だったら表現の自由を守るべき立場である。それが男性憎し・おたく憎しで表現規制を推進してきた。現在は右派が表現の自由を守り、左派が表現の自由を弾圧する。そんな捻れた状況になっている。政治的には左派でなおかつおたくの僕にとっては何とも居心地の悪い状況だ。

翻って本作で槍玉に挙げられているのはFワードである。大人たちは子供が汚い言葉を使うのを嫌い、その影響元となったテレンス&フィリップを処刑しようとしているのだ。そのためにはカナダとの戦争も辞さない。例によってだいぶ戯画化されているが、その中核に表現の自由や検閲の問題があるのは見逃せない。大人たちは自分たちが不愉快だからという理由で表現規制に乗り出しているのだ。そしてこの状況、先に述べた日本の状況とそっくりではなかろうか? 本作ではブラックジョークを主体に敢えて反PCな表現に徹し、そうすることでPCのバカバカしさを浮き彫りにしている。そのために映画はR指定になった。しかし、実はそういったレーティング自体が検閲であり、表現の自由に対する冒涜なのである。「自由の国」アメリカも言うほど自由ではなかった。日本よりだいぶマシとはいえ、PCによって自由が塗り潰されていくのは悲しいことである。

本作はミュージカルとしてもよく出来ていて、トレイ・パーカーの引き出しの多さに感心した。