海外文学読書録

書評と感想

エメラルド・フェネル『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020/米)

★★★

キャシー(キャリー・マリガン)は30歳独身で実家住み。昼はコーヒー店で働いている。ところが、夜は酔った振りをして男を引っ掛け、手を出してきたら制裁を加えることをしていた。キャシーは医大を中退している。その原因は親友がレイプされて自殺したからだった。ある日、キャシーはかつての同級生ライアン(ボー・バーナム)と再会、彼と交際するようになる。

日本でツイフェミと呼ばれている人たちはおたく(=弱者男性)を敵視しているが、女性にとって本当の敵は強者男性である。そのことを明確に示したのが良かった。

おたくを目の敵にするツイフェミは日本特有の存在なのかもしれない。というのも、日本は制度的にはともかく、国民の意識としては男女平等の理念が共有されている。大方の男性は道行く女性に性的な野次を飛ばしたりしないし、女性を集団でレイプしたりもしない。それどころか、女性専用車両を用意したり、レディースデイを設けたり、基本的に女性のわがままをすべて受け入れている。さらに、2024年度からは東京工業大学が女性を優遇する女性枠を適用する予定だった。全体的な傾向として男性は女性を尊重している。だからこそ性犯罪のような「大きな問題」よりも、おたく的表現のような「小さな問題」のほうに矛先が向くのだ。要は真に叩くべき相手が隠蔽されているのである。日本は性犯罪の認知件数が低い。一方で、おたくによる性的表現が我が物顔で跋扈している。自分を被害者のポジションに置いて日常のストレスを解消したい。自分の不遇を男性のせいにして気持ちよくなりたい。おたくはそういった女性の格好の的であり、ストレス解消のはけ口にされている。

強者男性は強者であるがゆえに欲望に歯止めが利かない。いい女を見つけたらすぐに口説きにかかり、性的合意がないまま性行為に及ぶ。彼らにとってレイプは文化だった。しかも、強者男性によるレイプは組織化されて行われる。スーパーフリー事件は早稲田大学のイベントサークルが舞台だったし、京都大学アメフト部レイプ事件は京都大学のアメリカンフットボール部が舞台だった。いずれも犯人は一流大学に在学していた強者男性である*1。強者男性こそが女性の敵。強者男性こそが若い女性から明るい未来を奪っている。だから敵を見誤ってはならない。無害なおたくをいじめて悦に入るよりもやるべきことはたくさんある。

男同士の友情とは尊いものであるが、一方でそれは悪い方面にも発揮される。たとえば、友達が犯罪を犯したとき協力して揉み消そうとするのだ。強者男性は単体でも邪悪だが、集団になっても邪悪である。行動の基盤がホモソーシャルで成り立っているから。あそこにいい女がいる。みんなでレイプしよう。間違って女を殺してしまった。一緒に死体を始末しよう。諸悪の根源は強者男性が持つ強烈な男性性であり、彼らが結託して作り出すホモソーシャルである。だからフェミニストは強者男性を糾弾しなければならない。強者男性こそが女性の敵なのである。

というわけで、本作は極めてまっとうなフェミニスト映画だった。

*1:最近では早稲田大学文学学術院の元教授・渡部直己が教え子の女性にセクハラしていたが、ツイフェミは誰一人として批判しなかった。渡部が強者男性だからだろう。