海外文学読書録

書評と感想

イアン・ワトスン『オルガスマシン』(1976)

★★★

島では遺伝子操作によってカスタムメイド・ガールを製造していた。巨大な青い眼を持つジェイド。猫娘のマリ。六つの乳房を持ち、顎に乳首がひとつあるハナ。片方の乳房が引き出しに、もう片方がライターになっているキャシィ。彼女たちはそれぞれ主人の元に引き取られ、男たちに性的モノとして扱われることになる。やがてひょんなことから反乱を起こすが……。

「おまえは所有者(あるいは所有権喪失の場合には、男であれば誰であれ)から与えられたすべての命令に、たとえその命令が第一条に反するものであっても、従わなければならない。

「おまえはいかなる男も傷つけてはならない。また、第二条を守らないことによって、男に不快感を与え、精神的に傷つけてもならない」

これが女性工学の三原則だ。(p.132)

ミソジニーディストピアをこれでもかと展開していて面白かった。女性を徹底して性的モノ化する社会は、男性の潜在的な欲望の反映と言えるだろう。ほとんどの男性は「女嫌いの女体好き」であり、女性に人格がなければいいと思っている。女性は精神が安定してないし、感情の赴くまま行動するし、正しさよりも共感を重視する。そういった低劣さが男性には耐え難いのだ。既婚者も独身者も、男性はうっすらミソジニーを抱えながら生活している。しかし、男性は女性に不満を漏らさない。なぜならセックスにありつきたいから。人格はどうあれ、肉体は最高なのである。そして、こういったミソジニーの行き着く先がカスタムメイド・ガールなのだった。

カスタムメイド・ガールは注文者のフェティシズムに沿って作られている。彼女たちは新生児の段階で奇形になるよう遺伝子を操作されていた。ある女性は巨大な青い眼を持っているし、ある女性は猫の姿をしているし、ある女性は六つの乳房を持っている。それぞれ特定の要求に合わせて完璧に仕立てられた体をしているのだ。彼女たちはその完璧な体を駆使して男性に奉仕することになる。

ハナは余分な乳房のおかげでとても人気がある。乳房は吸われると乳を出す。お客たちはハナの鎖を捕まえてたぐり寄せ、乳首に鼻をこすりつけては吸いこみ、満足のうめきを漏らす。ハナの乳は美味しく、軽い催淫剤が入っている。

しばらくすると催淫剤が効きはじめ、ハナは連邦保安官の衣裳をつけた男に初めて本格的に使われた。男はハナの鎖を踏みつけ、ぐるぐるとたぐり寄せた。ハナは飲物の盆をあぶなっかしく支えた。男が五十ドル硬貨をハナの脇のスロットに押しこむ。友人たちが歓声をあげて冷やかすうちに、男は貞操帯をほうり出した。

はあはあ言いながら、友人たちがしっかりささえるテーブルに男はハナを押しつけた。ハナは緑のパッドに大の字にされる前に、何とか持っていた盆を床に置く。保安官はジーンズを半分まで降ろし、テーブルに這いあがってハナにのしかかった。剝出しの尻が空中に突き出し、男がハナにつっこむ。保安官のバッジがハナの乳房の一つにひっかかり、男がハナの上で上下に体を揺するのに合わせて、拍車のように乳房を引掻く。頭を左右に揺らすハナの頬を涙が流れおちる。(p.54)

これぞ性的モノ化の極致だろう。この世界において女性は性的価値しか重視されない。カスタムメイド・ガールではない一般女性でさえも、加齢で性的価値が落ちたら捨てられてしまう(セックス・マシンとしてリサイクルに出されてしまう)。女性の寿命は実質三十年ほどしかなかった。男性の性欲を基盤としたミソジニー社会。裏を返せば、男性は自身のペニスに支配された存在であり、ミソジニーディストピアによってその情けなさが強調されている。男性の第一の欲望は性欲を満たすこと。そのためなら女性の人権も平気で踏みにじるし、テクノロジーの悪用さえ辞さない。本作はディストピアを描きながら男性の滑稽さを浮き彫りにしている。

終盤ではカスタムメイド・ガールが反乱を起こす。面白いのは彼女たちが一枚岩ではないところだ。重役用娘のキャシィは反乱に同調せず、あまつさえジェイドたちを男性に引き渡すことになる。ジェイドたちがフェミニストのアナロジーだとしたら、キャシィは一般女性のアナロジーだろう。フェミニストの高邁な理想は、小さな幸せに満足している一般女性には通じなかった。現実でもフェミニストは一般女性に嫌われているわけで、本作は優れた社会批評にもなっている。

島で隔離・製造されたカスタムメイド・ガールたち。世に出る前は男性を夢想し、世に出てからは男性に幻滅する。これぞ人生の縮図ではなかろうか。