海外文学読書録

書評と感想

アン・ビーティ『愛している』(1985)

★★★

1984年のバーモント州。35歳のルーシー・スペンサーはニューヨークで人気の雑誌にコラムを書いていた。彼女には本命の男がいるものの、その男に去られてしまったため、大学時代から付き合いのある編集長と不倫している。そんなある日、姪のニコルがルーシーの家に滞在することになった。ニコルはハリウッドの子役スターで……。

お気に入りの小説のヒロインと同じく、モリーンには絶対にしたくないことがたくさんあった。テキーラを飲むこと。献血すること。ヴォランティアの仕事をすること。ヒルドンに教わったタイアの交換を実行すること。ナイフを研ぐこと。プルーストを読むこと。閉店間際の野菜売場で特価品を買うこと。オーラル・セックスをすること。メートル法を学ぶこと。シュノーケルをすること。エホヴァの証人と話をすること。ことば遊びをすること。(p.75)

当時の東海岸の空気を如実に伝える内容だけど、この時代に特別な関心がない限りは読む必要がないような気がする。正直、古典化するほどの小説ではない。ただ、個人的に興味深かったのはフェミニズムが背景にあるところで、作中にちょっとおかしなフェミニストが出てきて面食らった。また、ある登場人物は「姦通はだれにも止められない」と主張していて、実際、ルーシーと編集長が堂々と不倫している(フェミニズムはフリーセックスを推奨している)。この時代はもうキリスト教の規範から外れることが当たり前になっていた。同じ時代の南部の小説と読み比べたいところである。

本作は登場人物がやたらと雑談していて、彼らの生き生きとした会話が見どころだろう。本筋とは関係のない自然なお喋り。たとえば、第12章は紙幅の大半が2人の警官の会話で占められている。この章はラストで重大なイベントが発生するのだけど、それまでひたすら無駄話に費やされているのだった。おそらくこの文脈の上にタランティーノの映画が乗っかっているのだろう。物語の導線となる機能的な会話も自然なお喋りとして書かれている。これが物語に清新な空気を吹き込んでいた。

ただ、そういう明るさが基調にあるものの、作中には生活がもたらす影の部分も忍びこんでいる。編集長の妻には流産の経験があるし、ニコルの母は終盤で事故死した際、妊娠2ヶ月であることが判明する。生まれなかった命。それがライトモチーフとして作品を貫いているのだ。そして、永遠に続くかと思われた日常にも変化が訪れる。人間はある日突然死に、その玉突き現象として関係者の生活も変わる。仕事をやめることだって大きな転機だ。変わらないものなど何もない。人生とはそういうものだという大きなテーゼを内包している。

ルーシーとニコルの共通点は仕事で別人を演じていることだ。前者はコラムニストとして架空のキャラを演じ、後者は子役俳優として決められた役柄を演じている。2人は西海岸と東海岸の文化を代表していた。この東西の邂逅も本作に空間的な広がりをもたらしている。