海外文学読書録

書評と感想

東陽一『もう頰づえはつかない』(1979/日)

★★★

早稲田大学の学生・まり子(桃井かおり)は、バイト先で知り合った学生・橋本(奥田瑛二)と同棲していた。ところが、まり子は自分の前から去った左翼崩れのルポライター・恒雄(森本レオ)に未練があり、彼のために私生活を犠牲にしていたのだった。やがてまり子と恒雄が再会する。

原作は見延典子の同名小説【Amazon】。

この時代の空気が知れたので観て損はなかった。当時はまだ学生運動の余波があったようで、大学には「武器とヘルメットの持ち込み禁止」と書かれた看板がフェンスに取り付けてある。学生に関してはおたくっぽい男や芋臭い女などがいて、この辺は現代とあまり変わってない。ある男子学生は教室でまり子の隣りに割り込み、「素っ裸のときどこを隠しますか?」と尋ねている。見るからに秋葉原にいそうな陰キャだ。初対面の女にセクハラ質問をするあたり、脳に何らかの欠陥を抱えてそうだけど、まあ昔の学生なんてこんなものだろう。後の精神医学はこういう輩に発達障害のレッテルを貼ることになった。病気や障害は作られるものだということが分かる。

桃井かおりはもっと気怠いイメージがあったけれど、本作では意外と普通だった。少なくとも社会に溶け込めるくらいの愛想はある。特にバイトではハキハキ喋っていて、普段のあの気怠い雰囲気はキャラ作りのような気がした。こういうときの桃井はなかなかチャーミングである。本作では内に向けた顔と外に向けた顔の二面性を垣間見ることができて面白い。

この時代に吉野家ブルドックソースがあったのは感動的だった。吉野家は今と内装が全然違っていて、チェーン店らしさがあまりない。まだ食堂らしさが残っている。一方、ブルドックソースは現代とほとんど変わってなくて、安心と安全の老舗ブランドといった風情である。どちらもよく現代まで生き残ったものだ。

本作に登場する男たちは基本的にしょうもないのだけど、とりわけ群を抜いていたのがルポライターの恒雄だった。こいつはとんでもないクズである。突然行方をくらましたかと思えば、電話でまり子に30万円の金を無心している。その後、まり子から妊娠を告げられた際には、「堕ろしてほしい」とためらいなく言い放っている。恒雄はいい歳こいて自分のことしか考えていない。彼のおかげで相対的に橋本の格が上がっている。

それにしても、インターネットの人たちはみんなライターになりたがるけど、ライターなんていい加減な職業で、労力に比べて原稿料は安いし、専業で食っていけるほど収入は安定しないし、福利厚生は皆無に等しいし、会社員よりもよっぽど気苦労が多い。関係者も人格破綻者が多く、本作に出てくる恒雄みたいなのがゴロゴロいる(精神病質者のオンパレードである)。なぜか楽して稼げるというイメージがあるけれど、全然そんなことはなく、とにかく量産を続けないと生活できない。基本的には食い詰めた人間がなる底辺職なので、インターネットの人たちは真面目に就活すべきだと思う。