海外文学読書録

書評と感想

中平康『あいつと私』(1961/日)

★★★★

1960年。大学生の三郎(石原裕次郎)は金持ちの子弟で明朗快活な性格をしていた。そんな彼が一般的な中産階級の娘・けい子(芦川いづみ)と親しくなる。三郎の母・モトコ(轟夕起子)は有名な美容師で、家庭では夫(宮口精二)を愛しつつも家長の役割を担っていた。ところが、この家庭にはある秘密が隠されていて……。

原作は石坂洋次郎の同名小説【Amazon】。

安保闘争を背景にした青春映画である。学生生活の描写が興味深い。

女子学生がここまでオープンに性を語っているのに衝撃を受けた。フェミニズムがすっかり浸透しているではないか。男と女が生理について語り合ったり、女が屈託なくパンツを見せたり、自然な形でフェミニズムの理想が達成されている。むしろ、現代のほうがこの時代より後退しているのではないか。というのも、現代はフェミニストが率先してキャンセルカルチャーの担い手になり、社会からあらゆる性的なものを排除しようと躍起になっているから。フェミニズムとは本来、性の解放運動だったわけで、その点で言えば本作で描かれた男女関係はPCと言える。これが60年前というのが信じられない。

さらに輪をかけてすごいのが三郎の家庭だろう。家父長制が一般的だったこの時代にあって、母親が家長として一家に君臨しているのだ(食事の席次がそれを象徴している)。この家庭では母親が稼ぎ頭になり、父親はそのサポート役に回っている。しかし、だからといって父親は蔑ろにされているわけではない。彼は去勢された愛玩動物として家族から必要とされている。そこには男の威厳など欠片もなかった。この家庭もやはりフェミニズムの理想で、現代人が見てもすこぶる進歩的だ。むしろ、現代の男女平等の家庭よりも行き過ぎとさえ言えるだろう。こういう家庭像が60年前に作られていたことに驚きを隠せない。

本作では色々と社会的・家庭的な歪みが盛り込まれている。背景となっている安保闘争ブルジョワプロレタリアートの関係。優生思想による身勝手な出産。しかしそれらは深刻な問題にはならず、石原裕次郎の快活さによってあっさり退けられていく。結局のところ、本作は娯楽映画なのだ。社会の闇、あるいは家庭の闇は、物見遊山的に通り過ぎていくのみである。変に社会派ぶらないところが本作の美点で、60年代の進歩的な生活を堪能するにはちょうどいい。これはこれで潔い映画と言える。

石原裕次郎は育ちの良さが滲み出ていてボンボン役が板についていた。ベンツやオープンカーがよく似合っている。