海外文学読書録

書評と感想

中平康『狂った果実』(1956/日)

★★★

夏久(石原裕次郎)と春次(津川雅彦)の兄弟は鎌倉周辺で太陽族をやっていた。2人は逗子の海で恵梨(北原三枝)という若い女と知り合う。恵梨に惚れた春次は彼女と清い交際するのだった。ところが、夏久は恵梨に外国人の夫がいることを知り、その秘密を盾にして無理やり押し倒す。

原作は石原慎太郎の同名小説。

当時の風俗を確認するような感じで見ていたら、ラストで思いっきり横っ面を殴られた。これをフランソワ・トリュフォーが評価するのも分かるような気がする。太陽族の享楽的な生活といい、フランス映画みたいな衝撃の結末といい*1、フランス人と相性が良さそうなのだ。ただ、俳優が紛れもなく昔の日本人なので、ちょっと芋っぽいところが玉に瑕だろう。ともあれ、本作は舐めてかかると痛い目に遭う。石原慎太郎ってなかなか恐ろしい作家だ。

太陽族が自身の中核に「退屈」があることを自覚しているところが興味深かった。こいつらって要は甘やかされたボンボンで、おそらくは親父にも殴られたことがない。見た感じ大学生くらいの年齢なのに、車やボートを悠々と乗り回している。現代の感覚だと、私立の医学部に通う学生がこんな感じだろう。しかし、現代と決定的に違うのは娯楽が少ないところだ。彼らの遊びといったらマリンスポーツやクラブ通いなどで、傍から見てすぐに飽きそうなものばかりである。田舎の小学生が原っぱで毎日野球をやっているようなレベル。これじゃあ、退屈を持て余すのも無理はない。インターネットがないというのはこういうことで、昔の人は不毛な人生を送っていたのだなと同情してしまう。

本作では実の兄弟が一人の女を巡って三角関係になる。最終的には血を分けた兄弟が穴兄弟になるのだけど、これは女を介した擬似的な近親相姦であり同性愛と言えるだろう。実質、夏久と春次がセックスをしているようなもので、だからこそ終盤の鬼気迫る展開に説得力が生まれている。これはエディプス・コンプレックスの変形である。父殺しならぬ兄殺し。おそらく原作者の石原慎太郎はこれを計算して書いているはずなので、やはり恐ろしい作家だと思う。

平沢フランクを演じる岡田眞澄が真剣佑を彷彿とさせるイケメンでびっくりした。顔の彫りは深いし、身長は高いし、見るからに日本人離れしている。岡田眞澄は日本人とデンマーク人のハーフらしい。ただ、目立つ外見のわりにはさらっとした役割で、部分的には物語のキーとなる反面、全体としては鎌倉のハイカラさを表象する存在にとどまっている。これぞ名バイプレーヤーといった趣だった。

終盤は春次の運転するボートがサメを模しているところが面白い。

*1:たとえば、『恐怖の報酬』を連想させる。