海外文学読書録

書評と感想

蔵原惟繕『銀座の恋の物語』(1962/日)

★★★

画家の伴次郎(石原裕次郎)はピアノ奏者の宮本(ジェリー藤尾)とボロ部屋をシェアして暮らしていた。伴次郎はお針子の久子(浅丘ルリ子)と相思相愛にある。伴次郎と久子は宮本の曲に歌詞をつけてそれを「銀座の恋の物語」と名付けて歌っていた。伴次郎は自分が描いた久子の肖像画を大切にしている。そんなある日、久子が交通事故に遭って失踪してしまう。

ハリウッドの古典映画みたいだった。体感としては1940年代くらい。その時代のフォーマットを1960年代の日本に置き換えている。銀座のロケーションも含めて相当古く感じるが、レトロ映画とはそういうものなので割り切るしかない。石原裕次郎が歌う「銀座の恋の物語」も古臭さに拍車をかけていた。個人的な印象だと、渡哲也がモダンなのに対し石原裕次郎はエンシャントである。なので裕次郎映画を追いかけるのは精神的にきつい。何らかの使命感がないとモチベーションが保てず、現在は心が折れそうになっている。

別人格になった久子が元の人格を取り戻すには肖像画が必要だった。ところが、少し前に手放してしまい、簡単には再入手できない。伴次郎は必死になって探し回る。このような手続きは今やお約束だろう。面白いのは肖像画が真のキーアイテムではなかったところだ。伴次郎は肖像画を見せれば久子の人格が元に戻ると考えていた。しかし、実際はそうならなかった。本当に必要だったのは歌だったのだ。2人で歌詞をつけた「銀座の恋の物語」。じゃあ、必死になって探した肖像画はいらなかったのだろうか。おそらくはそうではなく、肖像画と歌の両方が必要だったのだ。元々歌ありきの映画だから歌を重要なピースにしたかった。だから肖像画が唯一の決め手にならないようにしている。捻っていると言えば捻っているし、すっきりしないと言えばすっきりしない。僕は2人にとって肖像画の価値が一番高いと思っていたので、歌で人格を取り戻すのはすっきりしなかった。

グレた宮本が密造酒グループに加わっている。60年代にそのような犯罪組織があったのだろうか。戦後の闇市でカストリ酒が流通していたのは周知の事実である。しかし、本作の舞台はもう戦後ではない。調べてみると、密造酒の製造は1952年から1953年までが最盛期のようだ。本作の10年前である。60年代については詳しくないが、この時代に密造酒で稼ぐのは無理があるのではないか。本当は麻薬密売グループにしたかったが、裕次郎映画なのでできなかったのかもしれない。ともあれ、密造酒グループの存在も本作の古臭さに一役買っていた。

恋愛映画なのに石原裕次郎が大立ち回りするシーンがあって笑った。彼と暴力は切り離せないのだろう。デビューしてもう6年目なのに。当時は「男らしさ」が暴力と結びついていたようで興味深い。また、劇中で江利チエミが2回ほど歌を披露している。特に歩道橋の上で歌うシーンはちょっとしたミュージカルになっていて楽しかった。こういうところは古き良き60年代という感じがする。

ヒロインの浅丘ルリ子が妙にもっさりしていて、いかにも昭和の女という雰囲気だった。芦川いづみのような時を超えた普遍性がない。なぜ人気があったのか謎である。