海外文学読書録

書評と感想

出崎統『あしたのジョー』(1970-1971)、出崎統『あしたのジョー2』(1980-1981)

★★★★

山谷のドヤ街に矢吹丈(あおい輝彦)という少年が現れる。矢吹は喧嘩が滅法強かった。元ボクサーの丹下段平(藤岡重慶)はその素質に惚れ込み、彼にボクシングをさせようとする。しかし、矢吹は令嬢・白木葉子(西沢和子)に対する寄付金詐欺によって特等少年院に送られることに。そこで力石徹(仲村秀生)というライバルと出会うのだった。

原作は高森朝雄、ちばてつやの同名漫画【Amazon】。

『あしたのジョー』が全79話、『あしたのジョー2』が全47話。

出崎統の演出が光るアニメである。『あしたのジョー』と『あしたのジョー2』では成立時期に10年の開きがあり、技術的にもだいぶ差があるものの、しかしトータルで見るとやはり名作と言わざるを得ない。ハーモニーの多用やコマ送りの演出など、映像的に注目すべきところが多いのだ。特に演出については、セル画の枚数が少ない『あしたのジョー』のほうが尖っていた。制作上の不利を補うかのように前衛的な表現をバンバン繰り出してくる。その手法は映画と漫画のハイブリッドといった趣だった。本作が劇画っぽい雰囲気なのは出崎統による映像面での工夫が大きく、彼の才気を色濃く感じさせる。

『あしたのジョー2』になるとセル画の枚数も増え、前作の泥臭さとは打って変わった洗練されたアニメになる。80年代の到来を高らかに告げるかのような新しさだ。ところが、作品の雰囲気は前作以上に劇画っぽくなっている。それは映像面よりも、声優陣のシリアスな演技とブルース調の劇伴によるところが大きい。後期のオープニングに象徴される通り、夕日が似合うアニメになっているのだ。本作は10年の時を経て、子供のアニメから大人のアニメへと変貌を遂げている。

ジョーは一介の不良少年から世界チャンピオンに挑戦するまでに至る。それがサクセスストーリーではなく、悲劇的な色彩を帯びているところが面白い。というのも、ジョーは試合をするたびに対戦相手を不幸のどん底に突き落としていくのだ。まずはウルフ金串の顎を砕いて引退させている。ウルフ金串は「未来の世界チャンピオン」と目されていたものの、ジョーに敗れることでやくざの用心棒にまで落ちぶれるのだった。その次は最大のライバル・力石徹である。2人は少年院時代から因縁があり、念願叶ってプロのリングの上で決着をつけることになった。ところが、激闘の末にジョーは力石を死なせてしまう。無理な減量が祟った力石は、テンプルへの一撃によって命を絶たれたのだ。ジョーはボクシングを通じて力石と友情を育んだものの、その死が大きなトラウマになって最後までまとわりついている。以降、ジョーはカーロス・リベラ(中尾隆聖)、金竜飛(若本規夫)、レオン・スマイリー(小森創介)などと対戦するも、いずれも悲惨な末路を辿っている。まるで何かに呪われているかのように。

ジョー自身も不幸に見舞われている。力石戦後は彼を殺したトラウマによってイップスになり、しばらく相手のテンプルを打てなくなった。引退寸前にまで追い込まれたものの、カーロスとの邂逅によって克服する。しかし、受難はそれだけでは済まない。お次は力石と同じ減量苦を味わうことになる。ジョーは成長期によって身長が伸び、バンタム級の体重を維持することが難しくなったのだ。これも過酷な手段で何とか克服するも、その後は重度のパンチドランカー症状に侵され、ホセ・メンドーサ(宮村義人)との世界タイトルマッチでは試合中に右目が見えなくなる。ジョーは相手を傷つけ、自らも傷つき、それでもがむしゃらに前進することで最後には燃え尽きた。これはただのボクシングアニメではない。ボクシングを通じた生き様のアニメだ。だからこそ我々は、あの有名なラストシーンで滂沱の涙を流すのである。

ジョーのストイシズムは徹底していて、彼には浮いた話がこれっぽっちも出てこない。紀子(森脇恵)や葉子から思いを寄せられるものの、恋愛関係に至ることはなかった。特に何かと自分の人生に容喙してくる葉子には反発し、2人の心が通じ合うのはホセとの対戦を終えたラストシーンである(ジョーが葉子にグローブを渡す)。女を排してひたすらボクシングに打ち込むジョー。そして、そんなジョーと対比されるのが、彼の身近で暮らすマンモス西(だるま二郎)だ。西はジョーと似たような出自であるものの、紀子と結婚することでささやかな幸せを掴むことになった。ジョーと西、2人の違いに男の生き方の分岐点みたいなものが見て取れる。

本作は昭和のアニメなので現代のアニメに慣れているとやや冗長に感じる。しかし、それでも名作であることには間違いない。濃厚な男の世界を堪能した。