海外文学読書録

書評と感想

マット・リーヴス『THE BATMAN-ザ・バットマン-』(2022/米)

★★★★

ハロウィン。ゴッサム・シティは市長選を控えていた。バットマンことブルース・ウェインロバート・パティンソン)は自警団活動を始めて2年が経っている。そんななか、自宅にいた市長が何者かに殺された。現場にはバットマン宛の手紙が残されている。手紙を書いたのはリドラーポール・ダノ)という人物で、中身はなぞなぞだった。その後、バットマンは捜査の過程でセリーナ・カイル(ゾーイ・クラヴィッツ)と出会う。

暗い色調の画面とバットマンの物憂げな雰囲気が良かった。夜のゴッサム・シティバットマンの心象風景がリンクしているような印象である。また、アメリカにおけるリベラルの敗北を正面から扱っているところもいい。176分(2時間56分)は長すぎたが、映画としては『ダークナイト』と肩を並べるくらい問題意識が高い。こういうのを見ると、20世紀に作られたバットマン映画は何だったのかとなる。

バットマンみたいな自警団ヒーローの難点は、問題を根本から解決できないことだ。犯罪をひとつずつ解決する。理不尽な暴力から弱者を守る。バットマンは暴力による恐怖が犯罪の抑止力になると考えているが、実際は一人でやっているので焼け石に水である。いくら犯罪に対処しても犯罪そのものはなくならない。次から次へと湧いてくる。本当に街の治安を良くしたいのなら、政治家になって街の構造を変えるしかないのだ。犯罪を無くすためにはまず不正を無くす。不正を無くしたら経済や教育といった民度を底上げする政策を実施する。必要なのは暴力よりも権力である。場当たり的に犯罪に対処するよりも、治安が良くなるよう街の構造を作り変えたほうが手っ取り早い。

ところが、政治は民衆の期待に応えてくれないのだった。本作では市長候補(ジェイミー・ローソン)が「真の変化」を訴えている。これはバラク・オバマの有名なスローガンを踏まえているのだろう。リベラルは弱者を救おうとする。ところが、リベラルが救おうとしている弱者は彼らが同情し共感した弱者だけだ。そうでない弱者は透明人間にされてなかったことにされてしまう。女性は可哀想だから救おう。LGBTも救おう。黒人も救おう。でも白人の弱者男性、お前らのことは救わない。なぜなら同情できないから。お前らは誰からの助けも借りずに生きていけ。そうやってオミットされた人たちによってトランプ政権は誕生した。リベラルは救済の対象を選好する。アメリカの分断はリベラルが作ったと言っても過言ではないわけで、リドラーの動機がリベラルに対する失望にあるのも納得である。

夜が舞台なので画面はほとんど暗い色調だが、相対的に明るくなるシーンがニ箇所ある。ひとつは建物を出たらパトカーと大勢の制服警官が待ち構えていたシーン。赤と青の光が現場を照らしており、我々は権力の腐敗に屈したりしないのだという覚悟が窺える。そして、もうひとつはバットマンが松明を持って犯行現場から人を助けるシーン。現場は煌々と赤い光に包まれており、バットマンが一人ずつ人命救助していく。本作において光は希望を意味するのだろう。確かに権力は腐敗し、街には不正がはびこっている。しかし、それでも善意を持って行動する人たちがいる。映画が夜明けで終わるのも示唆的で、まるで明けない夜はないと言いたげなラストだ。リベラルによってもたらされた分断の中にも希望がある。ほとんど暗い色調の本作だが、最後にポジティブな光を出したところが良かった。