海外文学読書録

書評と感想

井上梅次『嵐を呼ぶ男』(1957/日)

★★★

銀座のナイトクラブでは夜な夜なジャズバンドが演奏していた。ある日、バンドのマネージャー福島美弥子(北原三枝)の元に音大生の国分英次(青山恭二)がやってくる。英次は兄の正一(石原裕次郎)をドラマーとして売り込むのだった。人気ドラマーのチャーリー(笈田敏夫)が他所に引き抜かれたため、美弥子は正一を採用する。一方、音楽評論家の左京徹(金子信雄)は美弥子に懸想していた。正一と左京は美弥子を巡ってある取引をする。

夜の世界の胡乱な雰囲気を味わえたのが良かった。ショービジネスは色気と暴力の世界なのだと思い知らされる。白木マリがセクシーな格好で踊ったり、石原裕次郎がやくざものと乱闘したり。また、芦川いづみが可憐な花を演じつつ、北原三枝が女主人としてどっしり構えている。岡田眞澄のスマートな佇まいと笈田敏夫のシナトラぶりもいい。総じて世界観がモダンでハリウッドの娯楽映画に接近しているような印象だった。

石原裕次郎演じる正一はこの界隈では暴れん坊として有名で、初登場がギターを振り回しての乱闘シーンだったので可笑しかった。彼は人に後ろを見せたことがないのを誇りにしており、売られた喧嘩は買う主義である。まるで嵐のような男だ。しかし、そのような強烈な男性性を示しつつも、あまり粗暴に見えない。これは育ちの良さそうな外見をしているからだろう。石原裕次郎はお坊ちゃんみたいでそれでだいぶ得をしている。乱闘シーンも無理に暴力的に振る舞っている感じだ。拭いきれない清潔感が彼の持ち味であり、見ていて不快な気持ちにならないところがいいと思う。

正一は不器用そうでいて意外と世渡り上手なところがある。美弥子を斡旋する代わりに自分を売り出すよう評論家と取引しているし、ドラム合戦では手の負傷で苦戦するなか、咄嗟に歌を歌って相手を伴奏に回している(「♪俺らはドラマー やくざなドラマー 俺らがおこれば 嵐を呼ぶぜ」)。暴力を好むわりにはなかなか策士だ。とはいえ、完全に策士になりきることもできず、美弥子を巡っては後にコンフリクトに直面している。立身出世を望む正一も愛欲には敵わなかったのだ。しかし、そもそも美弥子は評論家に気がないのだから、この取引は最初から破綻していたのである。そこは評論家も間抜けだった。

批評家や評論家はこの時代から悪だったらしい。褒めるのも貶すのも政治的で私利私欲に塗れている。本作の評論家も裏取引したうえで正一の演奏をべた褒めしていた。いつの時代も評論家とは政治的なものなのだろう。僕の知っている範囲では小説の書評家がそれに該当する。彼らは出版社の顔色を窺いつつ、気に入られたい作家に尻尾を振って仕事を貰っている。SNSでも党派的な振る舞いをしているのだから見苦しい。食うために必死なのは理解できるが、もう少し矜持を持ってほしいものである。幇間はいらない。結局はしがらみがある以上、書評家なんて職業として成立しないのだ。お前らとっとと廃業しろよと思う。ステマが法規制されるのだったら顔色窺いの書評も法規制されるべきだ。金が欲しいからといって出版社や作家の犬になってはいけない。

本作はカラーのシネマスコープで気合が入っている。VODだとフルHDで画質がいい。『密航0ライン』で見られたコーミングノイズもなかった。さすが日活のドル箱映画である。