海外文学読書録

書評と感想

ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』(1974/米)

★★★★

土木作業員ニック(ピーター・フォーク)と妻メイベル(ジーナ・ローランズ)には3人の子供がいる。メイベルは精神的に不安定でやることなすこと空回りしていた。夫婦は子供を預けて水入らずで過ごす予定だったが、ニックに急な仕事が入ってご破算になる。メイベルは酒場で男をナンパして自宅に連れ込む。その後、彼女はニックの仕事仲間たちを料理でもてなすが……。

夫婦の崩壊と再生を描いている。メイベルが空回りしている様子は堂に入っているし、そんな彼女に苛立ちを募らせ怒鳴りつけるニックも迫力がある。保守的なブルーワーカーの家庭とはどこもこんな感じなのだろう。主婦のメイベルは家事と子育てで家に閉じ込められ、家長のニックは仕事のストレスを家庭に持ち込んでいる。時はウーマンリブの時代だったが、この家だけ取り残されていた。この家は典型的な近代家族である。メイベルが壊れていったのも無理はない。

狂気とは何かと言ったら、社会のコードから外れることだろう。我々の言動は法律以外にも様々なコードで縛られている。会話ひとつとっても場面に応じて暗黙のコードがあり、それに従わないと異常者のレッテルを貼られる。メイベルの言動も社会のコードから外れていた。彼女は人をもてなすのが好きだが、一方で場の空気を読むことができない。相手に気を使いすぎてつい余計なことを口走ってしまう。我々は他人と接するときは常に演技をしているものだが、メイベルの演技は見るからにぎこちなかった。場に溶け込もうとするも浮いてしまう。やることなすこと空回りしてしまう。そこにあるのは神経症的な不安から来る過剰さだった。その過剰さは明らかに社会のコードから逸脱している。ニックはそれに我慢がならない。

壊れていったのはメイベルだけではない。ニックもある時から理性の糸がぷっつりと切れている。むしろ、彼のほうが落差は大きいだろう。特にメイベルが入院してからはイライラしっぱなしで、何かにつけて怒鳴り散らしている。彼の言動もまた空回りしていくのだった。その際たるものが、メイベルの退院を祝うためのパーティーだ。彼は嬉しさのあまり友人をたくさん集めるも、母親の助言に従って全部帰すことになる。ニックも過剰な人間になっていた。メイベルに引きずられるようにしてバランス感覚が狂っている。

退院して帰宅したメイベルは大人しくなっていた。おそらく治療の効果があったのだろう。しかし、ニックはそんな彼女に「自分らしく振る舞え」と強要するのだから理不尽だ。彼は自分が理想とする妻の像を彼女に押し付けている。それが家族の再生だと思っている。日常を取り戻したいという欲求がニックをモラハラ男に変えていた。メイベルはニックの要望に従って自分らしく振る舞うも、ニックは苛立って「普通の会話をしろ」と怒鳴りつけてる。引いても地獄なら進んでも地獄。メイベルにとっては八方塞がりである。本作で真に壊れていったのはニックだった。その後、夫婦の関係はこじれにこじれて臨界点にまで達している。

子供の愛で救われてしまうのがどうにも甘ったるいが、夫婦の崩壊を一時の嵐として遠景化したのは良かった。ただ、根本的な問題が解決したわけではないから、今後どうなるかは分からない。それでもドラマはここで幕引きである。とりあえずの踊り場として一番いいところで終わらせる。時間を切り取ることの妙味が感じられる。