海外文学読書録

書評と感想

ウディ・アレン『インテリア』(1978/米)

インテリア

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  • クリスティン・グリフィス
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★★★★

実業家アーサー(E・G・マーシャル)とインテリア・デザイナーのイヴ(ジェラルディン・ペイジ)は高齢の夫婦。3人の娘を育て上げた。長女レナータ(ダイアン・キートン)が才能溢れる詩人なのに対し、次女ジョーイ(メアリー・ベス・ハート)には作家の才能がなくレナータにライバル意識を持っている。三女フリン(クリスティン・グリフィス)は女優をしていたが行き詰まりを感じていた。そんななか、アーサーがイヴに別居を言い渡す。元々イヴは精神を病んでいたがこれを機に病状が悪化し……。

BUMP OF CHICKEN「才悩人応援歌」を想起させる内容だった。本作に主題歌を設定するとしたら絶対にこれ。家族関係の映画であると同時に才能を巡る映画でもある。

本作には芸術家や表現者がたくさん出てくる。ところが、その中でも才能があるのは長女のレナータだけだった。レナータの夫フレデリック(リチャード・ジョーダン)は売れない作家で批評家に認められてないのを苦々しく思っている。彼は売れてる妻に劣等感を抱いていた。また、次女のジョーイも作家であるもののまったく芽が出ない。売れてる姉に嫉妬している。三女のフリンは女優であるが自分の才能に限界を感じていた。レナータはこの3人を何かと励ましている。

レナータからすると、妹のジョーイには才能がない。しかし、それを通告してやるほどのやさしさもなかった。残酷なのはジョーイが夢を諦めていないことだろう。自分に才能がないと見切りをつければ違う道に進むこともできた。しかし、彼女は自分の才能に一縷の望みを賭けている。これは見ているほうとしては可哀想である。本来だったらレナータが引導を渡してやるべきなのだ。お前には才能がない、と。そうすれば作家にしがみついて馬齢を重ねることもなかっただろう。人間には向き不向きがあるのだから、向いてないことに時間を費やすべきではない。芸術というのは努力よりも才能の世界であり、たとえ本人の機嫌を損ねても正しい評価を伝えるのはその人のためだ。レナータは自分に才能があるゆえに、才能のないジョーイに気を使っている。それがとても残酷だ。

レナータとフレデリックも似たような関係で、この夫婦も口論が絶えない。フレデリックは自分に才能がないことに薄々気づいているようだ。だからレナータの励ましに欺瞞を感じて怒っている。才能のある妻に才能のない夫。夫婦関係としては最悪の部類だ。フレデリックについては才能の有無が明言されていないが(レナータはただ励ましているだけ)、批評家から評価されてないのだからおそらく才能がない。世間に認められてないフレデリックはレナータに劣等感を抱いており、それが終盤のレイプ未遂に発展することになる。

才能を巡る話が縦糸だとしたら、イヴを巡る話は横糸になるだろう。イヴはイヴで気の毒な境遇ではあるが、みんな自分の幸せが大切なので、厄介払いされるのも仕方のないことである。夫のアーサーは30年耐えた。精神を病んでいるイヴはトラブルの元である。イヴにもっとも同情的なのが次女のジョーイで、愛憎入り混じる介護をしていた。そこへ才能という縦糸が入り込んでくることでより複雑な緊張関係をもたらしている。

というわけで、本作は「才悩人応援歌」を想起させる内容だった。自分の能力を客観的に評価して見切りをつけることは重要だと痛感する。