海外文学読書録

書評と感想

ジョエル・シュマッカー『フォーリング・ダウン』(1993/米=英=仏)

★★★★

ハイウェイで渋滞に巻き込まれた白人の中年男性(マイケル・ダグラス)が、苛立ちを募らせて車から降り、徒歩で帰宅の途につく。彼には離婚した元妻(バーバラ・ハーシー)がおり、幼い娘(ジョーイ・ホープ・シンガー)は元妻のところで養育されていた。今日は娘の誕生日で、中年男性は何とかして会いたいと思っている。彼はバットやナイフ、銃器を手に入れて暴走することに。一方、プレンダガスト刑事(ロバート・デュヴァル)は今日が退職の日だった。彼は暴走した中年男性を追いかける。

一般市民の発狂を通して、典型的なアメリカ人を活写したところが面白かった。日本に住んでいる僕からすると、みんな乱暴なコミュニケーションをしていて驚く。食料品店の店主は客の弱みにつけ込んでぼったくってるし、メキシコ系の2人組はやくざみたいな因縁をつけて主人公から金品を脅し取ろうとしている。また、物乞いは「持ち物を寄越せ」としつこく迫り、挙句の果てには速射砲のように文句を言いまくっている(自分の立場を分かってない)。さらに、ゴルフ場で遭遇した老人は、フェアウェイに入ってきた主人公に罵声を浴びせた後、彼に向かってゴルフボールを飛ばしているのだった。

これらに共通しているのは、切りつけるような強気のコミュケーションをしているところだ。見知らぬ他者への敬意がまったくない。「人を見たら泥棒と思え」といった精神で向かい合っている。日本に住んでいると、大抵は敬して遠ざけるというか、他者に対しては礼儀をもって接している。けれども、アメリカ人にはそういう姿勢が一切ない。これじゃあトラブルになるのも仕方がないと思った。

ただ、そんな強気なアメリカ人も、銃器を突きつけられることで態度が一変するのだから可笑しい。アメリカは銃社会なのだから、相手を怒らせたらこうなるのは予想できたはずだ。なのに平然と罵倒するのだから、基本的にアメリカ人は頭が悪いのだと思う。悪態をついていいのは、自分が安全だと確信できているときだけ。そもそも、相手を怒らせても得することなんて何もないのだ。そこは処世術として肝に銘じておきたいところである。

主人公を巡るプロットで面白かったのは、わらしべ長者みたいに持ち物がスケールアップしていくところだ。まず最初にバットを手に入れ、続いてはナイフ、さらには大量の銃器を手に入れる。最終的にはロケットランチャーにまで到達するのだった。プロット自体は古典的とはいえ、暴力がエスカレートしていく展開はシンプルで楽しい。そしてこの部分の白眉は、終盤で主人公が水鉄砲を手にしながら死ぬところだろう。もともと水鉄砲は娘の所有物なのである。ここは皮肉であると同時に一抹の哀愁が感じられる。狂人の悲しい末路だった。