海外文学読書録

書評と感想

片山慎三『さがす』(2022/日)

★★★★

日雇いの原田智(佐藤二朗)と中学生の娘・楓(伊東蒼)は大阪の下町で二人暮らし。ある日、智は300万の懸賞金の掛かった連続殺人犯を見かけたと楓に言う。その翌朝、智は忽然と姿を消すのだった。楓が日雇いの現場に行くと、父の名前で連続殺人犯に似た男(清水尋也)が働いており……。

構成が素晴らしかった。最初は失踪人探しというプロットで観客を引き込み、行き着くところまで行ったら今度は失踪した側の事情を掘り下げる。そして、同じ場面を違った視点から見せていくことで、パズルのピースがぴたっとはまるような感覚を出している。私立探偵小説がそうであるように、失踪人探しとは往々にして対象の秘密を暴露するものだ。人はそう簡単には失踪しない。失踪するからには重大な理由がある。探偵役の楓がすべてを知ったうえで父と邂逅するラストは、ハードボイルド的な叙情があった。

本作は安楽死を題材にしている。しかし、あまり哲学的な領域には踏み込まず、プロットに奉仕する要素として、つまりはサスペンスの枠組みに収まるように使われている。智にとってALSの妻を殺すことは解放である。妻はその難病ゆえに苦しんでいた。妻を楽にするには殺すしかなかったのである。一方、連続殺人犯の山内にとって殺人は快楽だ。SNSで死にたい人間を探し、自身の欲求を満たすために殺害している。「死にたい」と「殺したい」のマッチング。智と山内は当初、同じ罪でも精神の有り様に違いがあった。解放か快楽かの対極的な関係にあった。ところが、それも共犯となってからは曖昧になる。智は金に目が眩んで餓鬼道に落ちてしまった。本作はそういった人間の業に焦点を当てているところも見所で、人間とは流されやすい生き物であることを示している。

山内の殺人衝動が完全にフロイトをなぞっているところが興味深い。つまり、エロスとタナトスである。彼は性欲を満たすために暴力を振るっているのだ。また、山内は「人間はいらない」とも言っている。医療従事者だった彼は、現場で苦しむ患者をたくさん見てきた。その経験が反出生主義のような倒錯した思想に陥らせている。殺人さえも正当化する強烈なニヒリズム。この辺は、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖を連想させる。彼も介護職として障害者と直に接することでああなってしまった。命の現場は時として人の倫理を狂わせるようである。

探偵役の楓が女子中学生とは思えないほどタフなところも注目すべきだろう。失踪人探しを通して人間の業と向き合う彼女は、フィリップ・マーロウでありリュウ・アーチャーなのだ。父親をめぐる精神的な試練もそのタフさで乗り越える。本作は私立探偵小説を換骨奪胎した映画で面白かった。