海外文学読書録

書評と感想

ザック・スナイダー『マン・オブ・スティール』(2013/米)

★★★

崩壊直前の惑星クリプトンから科学者のジョー=エル(ラッセル・クロウ)が自分の赤ん坊を宇宙船で送り出す。その宇宙船は地球に到達し、赤ん坊はクラーク・ケントヘンリー・カヴィル)と名付けられてアメリカのカンザス州ですくすくと育つのだった。成人したクラーク・ケントは氷の下の宇宙船を探索、同じ場所に来ていたジャーナリストのロイス・レインエイミー・アダムス)を超能力で助ける。やがて地球にクリプトン星人のゾッド将軍(マイケル・シャノン)たちが襲来。彼らは地球を乗っ取ろうと企んでいた。

ダークナイトトリロジーもそうだったけれど、DCのリブート作品って、ヒーローものを現代のエンタメ大作の文脈で作り直す目的があるから、個人的にはそこが目新しく感じると同時にしっくりこなかったりもする。確かに派手な映像はそれなりに楽しめる。でも、前世紀のチープな作風に後ろ髪を引かれるというか。特にクリプトン星を舞台にしたプロローグなんか、まるで昨今の『スター・ウォーズ』【Amazon】みたいで、『スーパーマン』も遂にここまで来てしまったか、と感慨にふけった。

クリプトン星人は『ドラゴンボール』【Amazon】のサイヤ人を彷彿とさせる。クラーク・ケントが地球に来る経緯といい、彼が同胞よりも地球人を守るところといい、同作との類似点が目立った。おそらく『ドラゴンボール』が『スーパーマン』を参考にしたのだろう。さらに、敵との戦闘シーンがこれまたもろに『ドラゴンボール』で、あのような荒唐無稽なアクションをよく実写で再現したものだと感心する。現代の映像技術だと、リアリズム重視のアクションよりも、超人的なアクションのほうが面白く見れる。CGと分かっているからこその無理筋な動きが爽快なのだ。我々はもう牧歌的なカンフーアクションの時代には戻れない。そのことを再認識させられた。

スーパーマンはもちろんアメリカの象徴で、クラーク・ケントは自分のことを「カンザス育ちの生粋のアメリカ人」だと宣言している。そんな彼は、実父であるジョー=エルにとっての「偉大な息子」なのだった。少年時代のクラーク・ケントは、いじめっ子に暴力を振るわれても無抵抗だった。なぜやり返さなかったのかと言えば、「力ある者はそれをコントロールしなければならない」という哲学ゆえである。それは超大国アメリカの理想像でもあった。ところが、敵が襲来してからは一変。死人が出るのもお構いなしに、ニューヨークの街を破壊しながら戦っている。これこそが現実のアメリカで、結局は力のコントロールなんてこれっぽっちもできないのだった。

そう考えると、本作はなかなか批評的な映画と言えるかもしれない。