海外文学読書録

書評と感想

ウディ・アレン『マンハッタン』(1979/米)

★★★★

テレビライターのアイザックウディ・アレン)は42歳。彼は17歳のトレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)と付き合っている。また、アイザックの友達エール(マイケル・マーフィー)には妻がいるものの、編集者のメリー(ダイアン・キートン)と不倫していた。アイザックはトレーシーの将来を考え、自分と別れるよう提案する。それと並行してアイザックはメリーと恋仲になり……。

ウディ・アレンは映画というメディウムを使ってアメリカ文学を表現しているので、実質アメリカ文学の作家と言っていいだろう。当時は中産階級の不倫がアメリカ文学の主題になっていた。不倫を通して人間のエゴイズムを暴き出す。彼の手並みは一流作家に比肩するものだった。

中年のくせに17歳の少女に手を出す男なんて自分勝手だし、結婚している男に手を出す女も自分勝手である。

アイザックにとってトレーシーは一時の遊び相手に過ぎなかった。一緒にデートしてセックスも楽しむものの、将来を考えている風ではない。むしろ、トレーシーのことを気遣って身を引こうとさえしていた。彼の内部には道徳と背徳が同居している。お互い現在を精一杯楽しむ。しかし、時が来たらトレーシーには夢を追ってもらいたい。トレーシーがアイザックにぞっこんなのに対し、アイザックは彼女に大人として人生の何たるかを諭している。

一方、メリーはエールと不倫していたが、妻のある男との恋愛に展望が見出せず、成り行きでアイザックに乗り換えてる。アイザックもメリーに惚れたからトレーシーは用済みだ。彼はトレーシーの将来を案じている体で別れ話を切り出している。大人のエゴイズムが全開で実に汚らしい。トレーシーはアイザックと離れたくないからロンドン留学を渋っていた。アイザックは自分の都合で相手の健気な気持ちを踏みにじっている。

痛快なのは最終的にアイザックとトレーシーの関係が逆転するところだ。結局、メリーはエールのことが忘れられず、彼とよりを戻そうとする。アイザックはメリーに捨てられてしまった。一人になったアイザックが藁をもすがる思いでたどり着いたのがトレーシーの自宅である。アイザックはトレーシーとよりを戻そうとやってきた。自分の都合で捨てたくせに随分と身勝手である。しかし、このときトレーシーは18歳になったばかり。名実ともに大人になっており、大人としてアイザックを諭すことになった。彼女はロンドンに向かう直前であり、やめるよう説得するアイザックを逆に説得している。当初はアイザックにぞっこんだったトレーシーが、今では冷静に物事を判断できるようになっていた。その成長ぶりが頼もしい。アイザックのエゴイズムを落ち着き払って粉砕しているのだから痛快だ。

劇中の雑談で、スコット・フィッツジェラルドイングマール・ベルイマンが過大評価のアーティストとして挙げられていた。挙げていたのはエールとメリーだったと思う。その場にいたアイザックは2人の見解に否定的だった。アイザックを演じたウディ・アレンもおそらく否定的で、敢えてそういう脚本を書いたのだろう。とはいえ、このチョイスは絶妙である。ベルイマンはともかく、フィッツジェラルドは過大評価と言えなくもないので。アメリカ人もそういう評価なのかと得心した。