海外文学読書録

書評と感想

藤田敏八『野良猫ロック 暴走集団'71』(1971/日)

★★★

新宿の公園でフーテン族が寝泊まりをしている。リーダーはピラニア(原田芳雄)、副リーダーはマッポ藤竜也)。あるとき、特攻服で身を固めた集団・ブラックSSがフーテン族の一人・隆明(地井武男)を拉致しにやって来る。振り子(梶芽衣子)はこの騒動が原因で逮捕されてしまった。隆明は町の有力者(稲葉義男)の息子で、事業を引き継がせるために連れ戻されたのである。二ヶ月後、鑑別所を脱走した振り子は隆明の元へ向かうが……。

野良猫ロックシリーズ第5弾。

シリーズを牽引してきた梶芽衣子の出番は少ないが、初出演の原田芳雄がめちゃくちゃ格好良くてその不備を補っている。また、原田の横に立つ藤竜也も渋くて最高だ。内容は学生運動を模した青春映画で、『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』と同様、若者の敗北が描かれている。シリーズを通して見ると、長谷部安春『女番長 野良猫ロック』『野良猫ロック セックス・ハンター』『野良猫ロック マシン・アニマル』)とは作家性がだいぶ異なっていて面白い。同じ若者映画でも藤田敏八のほうが青春の蹉跌を濃厚に表現している。

学生運動とは父親である国家にモラトリアムの子供が反発したものに過ぎない。そこに確固たる思想はなく、本質的には日本の家庭問題である。本作ではボンボンの隆明が権力者の父親に反抗している。「俺の生き方は俺自身が決める」と息巻いている。彼がフーテン族に入ったのは権威的な父親に対する最大限の抵抗だった。本作の中心になっているのはこの親子問題だ。それが拡大して集団同士の争いにまで発展している。思うに、学生運動もこういう図式だったのだろう。国家が敷いたレールは、大学を卒業して就職して結婚する。そして、子供を持って生産と再生産の義務を果たす。大人になるというのはこういうことだ。ところが、当時の学生はその道を拒否した。「俺の生き方は俺自身が決める」と反抗した。だから生産性のない運動に身を投じている。そういった運動は高校の部活動みたいでさぞ楽しかったことだろう。同じ鬱屈を抱える者同士の連帯感で結びついているのだから。とはいえ、人間はいずれ大人にならなければならない。卒業して就職して結婚し、子供を育てなければならない。そうしないと歳を食ってから取り返しのつかないことになってしまう。実際、学生運動に従事した団塊の世代は生産と再生産の道に入った。何の未練もなくあっさりと。子供の反抗期が社会に拡大したのが学生運動であり、それはプライベートな親子問題にまで還元できる。だから本作の中核に隆明とその父親を持ってきたのは正しい。物事の本質を捉えている。

本作ではダイナマイトがキーアイテムになっている。フーテン族は火炎瓶の代わりにこれを投げつけて社会と戦っているのだ。ダイナマイトの爆発はなかなか派手で、これが若者の内なるエネルギーを比喩的に表現している。ダイナマイトが爆発し、煙が立ち込め、モップスの「御意見無用」が流れる。このシークエンスだけで学生運動が総括されたと言っても過言ではない。若者の有り余るエネルギーが迸っていて見応えがあった。