海外文学読書録

書評と感想

フランソワ・トリュフォー『私のように美しい娘』(1972/仏)

私のように美しい娘(字幕版)

私のように美しい娘(字幕版)

  • ベルナデット・ラフォン
Amazon

★★★★

社会学者のスタニスラス・プレヴィン(アンドレ・デュソリエ)が、女性犯罪者に関する論文を書くため刑務所を訪れる。取材の対象はカミーユ・ブリス(ベルナデット・ラフォン)。プレヴィンはテープレコーダーを回してインタビューを始める。カミーユが語る半生は法螺話のようにぶっ飛んでいた。

原作はヘンリー・ファレル『Such a Gorgeous Kid Like Me』。Amazonに書誌情報がないが、調べたら実在する小説のようだ。

ファム・ファタールが主人公の犯罪映画である。しかし、見せ方が変わっていてあまりそういう印象を受けない。全体的にはコメディ色が強い艶笑譚に仕上がっている。犯罪映画を換骨奪胎したような内容で、このジャンルに対するパロディのように見えた。

カミーユがかなりぶっ飛んだ女で、最初から最後まで何を考えているのか分からない。誘いを受けたら誰とでも寝るし、目的のためなら他人を害することも厭わない。特に人が死ぬことを狙って何度も工作するところが怖すぎる(本人は「運命の賭け」と称している)。ただ、文字で書くと悪辣な印象だが、映像で見るとコメディ色が強いので悪辣さが軽減されている。男を誑かして自分のために利用してもファム・ファタールに見えない。むしろカミーユは目の前の問題に場当たり的に対処し、それが蓄積されることでファム・ファタールの地位を確立している。彼女については「素行が悪い」というのが一貫した性質だろう。そして、持ち前の性的魅力でバカな男たちを誘蛾灯のように引き寄せている。本作を見ると、ファム・ファタールとは女に問題があるのではなく、女に惚れた男のほうに問題があるとしか思えない。この構図は最近流行りの推し活に似ていて、つまり、配信者が乞食をするのは投げ銭するバカがいるからであって、配信者本人は悪くないのである。ファム・ファタールも配信者も個人の魅力を売りにして利益を得ている。諸悪の根源はその魅力に取り憑かれたほうなのだ。社会は詐欺師を犯罪者扱いする一方、利害関係のない我々は騙されたほうが悪いと突き放す。ファム・ファタールも配信者も本質的には詐欺師だが、騙されるほうは進んで騙されたがっているのだ。わざわざ好んで搾取されているのだから救いようがない。本作は騙された男たちの間抜けぶりが際立っていた。

そこかしこに見られる小ネタが面白い。たとえば、カミーユが9歳のとき父親から蹴り飛ばされるが、その際、カミーユはふわっと飛んで干し草の上に着地している。また、鑑別所から脱獄するシーンでは服装のボロさに反してきっちり化粧をしている。さらに、カミーユが出会った男性歌手は変わった行動癖を持っていて、女と寝るときにはカーレースのレコードを流している。他にもカミーユの夫が交通事故に遭ったときは普通だったら死んでいる流れなのにちゃっかり生きていて、こちらの予想を外してくるところがツボだった。このように本作はコメディ色が強いため、プレヴィンが殺人犯に仕立てられる終盤まで犯罪映画に見えない。カミーユがファム・ファタールだと気づくのも終盤になってからだった。