海外文学読書録

書評と感想

鈴木清順『悪太郎伝 悪い星の下でも』(1965/日)

★★★

昭和初期の河内地方。八尾中学の4年生・鈴木重吉(山内賢)は牛乳配達で生活費を稼ぎ、第三高等学校への進学を希望している。重吉の父・重兵衛(多々良純)は貧農でギャンブルに目がなかった。重吉は学校でのトラブルを経て友達の妹・鈴子(和泉雅子)と出会う。また、質屋の娘・種子(野川由美子)に誘惑される。

原作は今東光『悪い星の下でも』。雑誌で連載されたが書籍化はされていない。また、『悪太郎』の続編でもない。

エリートコースからドロップアウトする話は見ていて気が滅入るが、当時はこういうのが格好いいとされていたのだろう。アウトサイダーはいつだって人の心を引きつけるものである。実は原作者の今東光も素行不良で中学校を退校しているが、彼は後に売れっ子作家になった。こういうのは例外中の例外である。大抵はドロップアウトすると低賃金のエッセンシャルワーカーになって人生を終える。人生には官僚になるか介護職になるかの分岐点があり、目指していた場所に届かないのは見ていてつらい。

重吉は不良ではないのだが、やっていることは不良よりもすごくて驚く。というのも、やくざと刃傷沙汰を起こして逮捕されているのだ。重吉は正義感が人一倍強い。だから理不尽なことをされたらやくざが相手でも立ち向かう。一人で事務所に討ち入りした度胸もすごければ、刀を持って襲撃してきたやくざを返り討ちにしたのもすごい。まるで本宮ひろ志の漫画のようである。ここまで正義感が強くて意地を張っていると逆に生きづらいのではなかろうか。『草枕』【Amazon】にもこうある。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と。重吉がドロップアウトした直接の理由は意地によるものである。しかし、人として正しくても結果はそれにそぐわない。住職(三島雅夫)は重吉に正しく生きるよう説教していたが、それが本当にいいことなのか疑問をおぼえる。

本作の柱は重吉・鈴子・種子の三角関係である。劇中で鈴子が『アンナ・カレーニナ』【Amazon】を読んでいるのはそれを示唆したかったのだろう。鈴子が清楚系なのに対し、種子はファム・ファタール系で、種子は持ち前の性的魅力で重吉を誘惑していく。昭和初期の硬派な風潮とは程遠いキャラクターだ。正直、種子だけ戦後日本からタイムスリップしたような印象を受ける。だって重吉に堂々と裸を見せているし、キスをするのも躊躇いがないから。河内地方には似合わないモダンな娘、それが種子だ。重吉はトルストイの影響で霊肉一致こそが本物の愛だと考えている。その伝で言えば、種子に惑わされるのも無理はない。心では鈴子を欲しているが、体は種子を欲している。そして、そのように引き裂かれているからこそヒロインの純情は手に入らない。この三角関係もやくざとの喧嘩と同じく青春の蹉跌になっている。

父親役の多々良純と母親役の初井言栄が素晴らしい。2人は駄目な亭主と強面の女房を好演している。その掛け合いは熟練の夫婦漫才だった。特に多々良純がめちゃくちゃ濃いが、これは河内弁のせいかもしれない。流れるようにセリフを喋っていてさすがベテラン俳優だと感心した。