海外文学読書録

書評と感想

齋藤武市『ギターを持った渡り鳥』(1959/日)

★★

函館。ギターを持った滝伸次(小林旭)がどこからともなく流れてくる。彼はひょんなことからやくざの組長・秋津(金子信雄)のもとで働くことになる。伸次は秋津の娘・由紀(浅丘ルリ子)と顔見知りになるのだった。ある日、函館に殺し屋ジョージ(宍戸錠)がやってくる。ジョージは伸次に見覚えがあったが……。

渡り鳥シリーズ第1弾。

画面はシネスコサイズだが、上下左右が黒い額縁状態のレターボックスになっていた。日活の映画でこの仕様は初めて見たような気がする。冒頭で日活スコープのロゴが出てなかったので、それとは別枠なのだろう。どういう事情があったのかは知らないが、この仕様にはとにかく驚いた。

同時期の小林旭だったら『爆薬に火をつけろ』のほうが断然良かった。本作は陰のある役柄だが、造形が中途半端である。弱いものいじめが嫌いなわりにやくざの下働きをしているし、あまつさえ地上げの仕事までするのだからへんてこだ。小林が演じる伸次は経歴不明である。分かっているのは流しのギター弾きであること、腕っぷしが強いこと、弱いものいじめが嫌いなことくらい。その後、過去に女がいたことや銃の腕前がすごいことも明らかになり、彼の前職も暴かれることになる。しかし、何で辞めたのかは分からない。おそらく女絡みだろうが、理由は最後まで伏せられている。改めて考えると、そんな伸次がやくざの下働きになるなんてとんでもないことだ。彼の職歴や性格に一致しない。やくざなんて弱いものをいじめるのが仕事なのだから、自身の信念とぶつかるのは予想できただろう。ましてや前職が前職である。途中から軌道修正するとはいえ、当初は己の正義感とどう折り合いをつけているのか謎だった。

殺し屋役の宍戸錠も陰のある役柄だが、こちらのほうが深みがあってよっぽどいい。評論家の渡辺武信は『日活アクションの華麗な世界』【Amazon】で次のように述べている。

敵役時代の宍戸錠の魅力は、過剰な気取りにあった。この気取りは決して無意識的なナルシシズムから生まれるものではなく、むしろその反対に、自己の肉体を完全にコントロールしつつ、しぐさや服装のすみずみにまで意識的に誇張を与えることによって生まれた一つの"スタイル"と言うべきものである。この醒めた意識、言いかえれば"自己"と"肉体"とを一度分離して再結合する意識は、自分の肉体と"自己"と未分化のまま、その象徴として行動するヒーローたちの意識に比べれば、はるかに成熟しており、当然、ヒーロー像の対立物となり批評となったのである。そしてこの対立は、とりわけ無意識的なヒーロー像をもつ小林旭との間に著しい。

小林より宍戸のほうがよく見えたのは、宍戸が成熟しているように見えたからだ。宍戸に比べると小林は青二才丸出しで魅力がなかった。

浅丘ルリ子が金子信雄の娘、中原早苗が金子の妹を演じている。この関係は無理がないだろうか? 中原は浅丘の5歳年上でしかない(24歳と19歳)。それが叔母と姪の関係になっているのである。どちらも見た目が若いのでそのような血縁関係が分かりづらかった。金子信雄が36歳のわりに老けて見えるので尚更である。中原を金子の妹にしたのは設定ミスに思える。