海外文学読書録

書評と感想

深作欣二『仁義なき戦い 完結篇』(1974/日)

★★★

昭和41年。山守組幹部の武田(小林旭)は、市民社会の目をかわすために政治結社・天政会を結成、そこの2代目会長に収まっていた。一方、広能(菅原文太)は網走刑務所で刑期を務めている。天政会では武田の跡目をめぐって松村(北大路欣也)と大友(宍戸錠)が対立しており、新たな抗争の火種になっていた。

『仁義なき戦い 頂上作戦』の続編。

蛇足としか思えない内容だが、最後に広能と武田をきっちり引退させたところは良かった。さすがにこの2人がいなくなったらシリーズは完結するしかないだろう。新シリーズはたぶん見ないと思う。

暴力団政治結社を隠れ蓑にするのってこの頃から始まったのだろうか? 意外にも天政会は民主的で、大部屋にやくざの幹部らが集まって会議をしている。議長はもちろん会長の武田だ。面白いのはこの武田が独裁者じゃないところで、重要な議題では多数決をとっている。どうやら武田は天政会を近代的なやくざ組織にしたいらしく、そのために合法的な政治結社に鞍替えしたようだ。その一方、副会長の大友は旧来的なやくざ気質で、武田にとっては目の上のたんこぶになっている。改革派と保守派の争いはやくざ組織の中にもあるらしい。この辺は我々の社会と変わらないのだった。

大友は『仁義なき戦い 広島死闘篇』に出てきた大友勝利だが、俳優が千葉真一から宍戸錠に変わっている。と言っても、破天荒な性格は相変わらずで、何かあるとすぐに大暴れ、およそ人の上に立つ器ではない。ちんぴらが関の山の男だった。こんな愚連隊崩れがよく出世できたものだと感心する。大友はこのシリーズにおいて唯一浮いた存在であり、あまりリアリティを感じなかった。

これから何かをやらかしそう人物が次々と消えていくので、エンターテイメントとしては消化不良である。広能の舎弟の市岡(松方弘樹)は、大友と結託して松村を追い落とそうとするも、その矢先に殺されてしまう。ついでに、大友もあっさり逮捕されて懲役刑を食らうのだった。その後は天政会の槇原が反松村派として名乗りをあげるも、例によって大したこともしないまま殺されてしまう。市岡に大友に槇原。松村と対立する彼らが、風に吹き散らされる木の葉にように消えていくのは、さすがに苦笑するしかなかった。この辺はもう少し脚本を練ってほしかった。

血の気の多いやくざがひしめくなか、武田だけは穏健な路線を貫いており、彼の思想信条はカタギの僕でも納得できる代物だった。そして、その次に男を見せたのが松村で、余計な抗争を避けるために敵対する広能に頭を下げているのだから驚く。銃でドンパチするちんぴらよりも、こうして平和に尽力するやくざのほうが格好良く見えるのだから、本作は不思議な映画である。やくざ映画とは言っても、暴力を推奨しているわけではない。そこはポイントが高かった。

ところで、このシリーズには銃撃シーンがたくさん出てくるが、みんな銃の撃ち方が素人くさいところがリアルだった。総じて、ろくに射撃練習をしたことなさそうなへっぴり腰である。格好良く銃をぶっ放すハリウッド映画とは一線を画していた。考えてみれば、日本は銃社会じゃないからやくざも扱いには慣れてないのだ。この辺に作り手のこだわりを感じた。