海外文学読書録

書評と感想

鈴木清順『花と怒涛』(1964/日)

★★★

大正時代。渡世人の尾形菊治(小林旭)が婚礼の行列から花嫁・おしげ(松原智恵子)を奪って逃走する。1年後、菊治は村田組で土方として働いていた。菊治のことを殺し屋の吉村(川地民夫)が付け狙っている。また、刑事の谷岡(玉川伊佐男)も菊治を追っていた。菊治は身内に襲われた際に芸者の万竜(久保菜穂子)に助けられる。やがて村田組と玉井組の対立が表面化し……。

浅草が舞台ということで、下町の路地から見える凌雲閣(浅草十二階)が味わい深かった。祭りの雰囲気を漂わせつつ狭い路地に人がひしめき合っているところは『鬼滅の刃』の浅草編を想起させる。関東大震災の前はこんな感じだったのだ。当時は東京タワーもなければ東京スカイツリーもない。凌雲閣が地元のランドマークだった。関東大震災から100年。華やかだった凌雲閣はもう存在しない。本作は大正時代にタイムスリップした感覚を味わえる。

任侠映画と西部劇の違いは組織に所属しているか否かにあると思った。渡世人も働かないと生きていけないわけで、何らかの組織に所属して働く。組織の一員だから好き勝手に振る舞えない。上役の命令は絶対である。そこで葛藤が生まれ、その葛藤が組織を離れる起爆剤として作用する。組織を離れて大暴れするシーンが一種のカタルシスになるのだ。それに対して西部劇のヒーローは最初から独立した個人として存在している。何らかの労働に従事しても孤高のヒーローのままだ。雇い主と対立しても葛藤は生まれない。いかにして孤高のヒーローになるのかが任侠映画だとすれば、いかにして孤高のヒーローを維持するのかが西部劇なのだ。どちらも貴種流離譚の形式を取りつつ対照的な構造になっているのが面白い。

満州帰りの芸者・万竜のキャラが立っていた。馬賊の相手をしてきただけに度胸満点、権力者に脅されても動じない。みんなからは姐さんと慕われている。彼女の気の強さは痛快で、札束を積んできたやくざの親分に「金じゃ転ばない」と見栄を切っている。おまけに背中一面には大きな刺青が彫ってあった。彼女は並の男では御せない女傑であるが、菊治を助けていくうちに彼に惚れるのである。可憐なおしげも悪くない。一方で強キャラの万竜も魅力的だ。万竜には言い知れぬ迫力があった。

鍬入れ式での乱闘はロケーションが良くて見栄えがした。大人数が刀やライフルを持ってバチバチやり合っているのだが、その場所が巨大な木材が積まれている工事現場なのである。木材の一つ一つがでかいことでかいこと。こういう場所での刃傷沙汰は他に見たことがない。いかにも土方の世界という感じがする。

菊治と吉村の対決も変わった場所で行われていて、いくつもの雪の塊が障害物として積もっている。吉村は障害物の陰から飛び出して万竜を刺し殺し、また隠れて菊治に襲いかかる。2人の対決に華々しさはない。菊治も吉村も泥臭く命懸けである。殺し合いとは得てしてこういうものなのだろう。必死になって動き回る様子がリアルだった。

菊治の腕に「おしげ命」と彫ってあったのが可笑しかった。渡世人にもなかなか可愛いところがある。カタギの我々よりもロマンティックではないか。