海外文学読書録

書評と感想

吉田喜重『水で書かれた物語』(1965/日)

★★★

サラリーマンの松谷静雄(入川保則)は美しい母・静香(岡田茉莉子)と二人暮らしをしている。静香は権力者の橋本伝蔵(山形勲)と不倫していた。一方、静雄は伝蔵の娘・ゆみ子(浅丘ルリ子)と婚約しており、結婚まで秒読みの段階にまで来ている。ところが、静雄とゆみ子は異母兄妹かもしれなかった。

原作は石坂洋次郎の同名小説。

近親相姦が表向きの題材になっているが、その裏には『ろくでなし』と同じく「自由」の問題があって、これはもう作家性じゃないかと思った。といっても、吉田喜重の映画は本作を含めて2本しか見てないので確信が持てない。フィルモグラフィーを見ると、デビュー作の『ろくでなし』から本作の間に5本(『血は渇いてる』、『甘い夜の果て』、『秋津温泉』、『嵐を呼ぶ十八人』、『日本脱出』)挟まっている。今後やるべきはこの穴埋め作業かもしれない。

静雄は重度のマザコンで近親相姦への欲望がある。この欲望がいかにして形成されたかは、断片的に挿入される少年時代のエピソードである程度察することができるが、問題は母のことが好きすぎて思いつめているところだ。静雄は母に「僕たちが自由になるには死ぬしかない」と心中を持ちかけている。静雄は母が伝蔵に抱かれているのが我慢ならないのだ。そして、自分が母と結婚できないこと、公然と愛し合えないこともその思いに拍車をかけている。静雄にとって戸籍上の父は高雄(岸田森)だが、象徴的な父は伝蔵その人だ。しかも、その象徴的な父は自分の実父かもしれない。少なくとも静雄はそう思い込んでいる。静雄の内側にあるのは強いエディプスコンプレックスだった*1。伝蔵を押しのけて自分が母と交わりたい。できることなら母と結婚したい。しかし、舞台は現代日本である。近親相姦は社会のタブーとして禁じられていた。自分は母と結婚できなければ、公然と愛し合うこともできない。つまり、自由に振る舞うことができない。社会の慣習による閉塞感が静雄を支配している。ここに『ろくでなし』と同じ「自由」の問題が見て取れる。

静雄とゆみ子は異母兄妹なのだろうか。少なくとも静雄はそう思い込んでいるが、状況からしてさすがにあり得ない。というのも、もし異母兄妹だったら伝蔵が結婚を許さなかっただろう。静香だって息子の父が誰かは分かるはずである。しかし、静雄の思考はそこに至らない。彼の思い込みが本作を複雑にしている点は否めなかった。

静香を演じた岡田茉莉子はこのとき32歳。着物が似合う妖艶な美女である。当時25歳だった浅丘ルリ子よりよっぽど色っぽく、大人の魅力に溢れていた。もちろんこういう映画なので濡れ場もあるが、個人的に驚いたのが岸田森とのキスシーンだ。思ったよりも濃厚にキスしていて、当時としては体当たりの演技のような気がした。正統派の売れっ子女優がやるにしては過激なキスシーンなのである。この時点で岡田は吉田喜重監督の妻なわけで、よくこういう演技をさせたものだと感心した。

*1:高雄が柔弱な「父」に対し、権力者の伝蔵は屈強な「父」である。後者に対する反抗心は強いと思われる。