海外文学読書録

書評と感想

ダニエル・シュミット『ヘカテ』(1982/仏=スイス)

★★★★

1932年。北アフリカにあるフランスの植民地。そこに外交官のジュリアン・ロシェル(ベルナール・ジロドー)が赴任してくる。ジュリアンはパーティーでクロチルド(ローレン・ハットン)という人妻と出会い恋に落ちる。最初は上手くいっていたが、クロチルドの奔放さに翻弄され、ジュリアンは嫉妬に狂っていく。

原作はポール・モラン『Hecate and Her Dogs』【Amazon】。

ストーリーはしょうもないが、映像が抜群に良かった。昼はロケーションがエキゾチックで見栄えがするし、夜は青みがかっていたりセピアがかっていたり幻惑的な絵面になっている。どちらかというと惹かれるのは夜の映像で、撮影のレナート・ベルタはどうやって撮ったのだろうと不思議に思った。フィルモグラフィーを確認すると、彼が関わった映画で僕が見ているのは『満月の夜』だけである。3年前に見たきりなのでまったく覚えてない。いずれにせよ、本作は夜のシーンが素晴らしかった。こういう幻惑的な映像だからこそ、クロチルドがギリシャ神話のヘカテに擬せられるのも納得できるのである。

とはいえ、ストーリーはしょうもない。男が嫉妬に狂って関係者に迷惑をかけていくのである。男にとって女は圧倒的な他者であり、思い通りにすることができない。そして思い通りにすることができないからこそ、男はますます空回りしていく。いくら追いかけても相手は自分のものにならないし、むしろ追いかければ追いかけるほど相手は離れていく。この渇望感がエスカレートして男は暴力的になるのだ。男にとって惚れた女は等しく魔性の女である。観客から見てクロチルドは大していい女ではないが、ジュリアンにとっては喉から手が出るほど欲しい女で、追いかけるだけの価値がある。そういう愚行を我々は他人事として冷淡に見ている。ところが、我々だっていつジュリアンみたいになるか分からない。恋愛遊戯の当事者になったらとても冷静ではいられないだろう。このしょうもなさが人間の普遍的な業だと考えると、我々の人生は滑稽なものだと思い知らされる。

印象に残っているシーン。パーティーでジュリアンがクロチルドと出会ったシーン。手すりに寄りかかって黄昏れていたクロチルドがカメラ正面に振り返ったとき、髪が風でたなびいて乱れてしまった。それを直すために片腕を上げたら脇毛がもろに見えている。このシーンはまさに運命的な出会いを象徴していた。

もうひとつ。終盤でジュリアンが阿片窟のような薄暗い建物に入っていく。そこには様々な風体の人がひしめいていて、同性愛や児童買春を示唆する退廃的な空間が広がっている。このシーンは西洋人が抱く「辺境」のイメージとして秀逸で、我々もそのエキゾチックな映像にドキドキしてしまう。ただ、アフリカ人が見たら怒るだろうとは思った。そういう背徳感も含めての退廃に惹かれる。

ヨーロッパの強みは近代まで帝国主義だったことで、その強みが本作にも表れている。北アフリカなんて日本に住んでいるとまったく縁がない。アメリカに住んでいても縁がないだろう。植民地支配という歪んだ繋がりではあるが、白人が「辺境」に来る口実としては極めて自然である。