海外文学読書録

書評と感想

エリック・ロメール『満月の夜』(1984/仏)

★★★★

ルイーズ(パスカル・オジエ)とレミ(チェッキー・カリョ)はパリ郊外のアパートで同棲していた。レミの独占欲に辟易したルイーズは、自由を求めてパリに所有している部屋を仮宿にする。また、レミにはオクターヴファブリス・ルキーニ)という友人がいてよく顔を合わせていた。オクターヴは妻子持ちのくせにレミに言い寄ってくるが、レミにその気はない。ある日、レミはパーティーで出会ったバスチアン(クリスチャン・ヴァデム)と浮気をする。

いつになく教訓的な内容だった。終盤で奔放なルイーズに罰が下されるあたり、青春の蹉跌という感じがする。

ルイーズはサバサバした恋愛観を持っていて、恋人との関係は愛がすべてだと思っている。彼の愛が消えたら私も愛さない。そう思っているから放任主義でいられる。レミが無条件にこちらを愛していると信じているのだ。しかし、言うまでもなくそれは捨て鉢の信頼だ。恋愛関係を維持するにはある程度の束縛が必要である。束縛から逃れて自由に振る舞っていると、いずれは相手も浮気をすることになる。思うに、恋愛とはどちらも同じくらい相手を愛し、同じくらい独占欲を持ってないと続かないのだろう。そのバランスが崩れると関係が破綻する。だからこそ絶え間ないメンテナンスが必要なのだ。ところが、ルイーズとレミはもう倦怠期に入っていて、ルイーズはレミのことを愛していると言いながらも束縛から逃れたがっている。たまに離れていないと深く愛せない、というのが彼女の言い分だ。ここまで来ると関係の修復は難しく、ほろ苦い結末を迎えるのも仕方がなかった。とかく恋愛の力学は難しいものである。

そもそもの失敗はルイーズに大人の自覚がなかったことだろう。ルイーズは恋人がいながらもまだ遊びたいと思っており、誘惑こそが若さの特権だと嘯いている。そして、欲望の赴くまま行きずりの男と寝てしまう。しかし、欲望こそが愛の源であることも否めない。というのも、誰だって自分の欲望を喚起する人間を愛するのだから。問題は恋人がいるのに一時期な欲望に屈するところで、そこはモノアモリーの規範から大きく外れている。我々の世界では通常、一人の人間は一人の人間としか同時に付き合えない。複数の人間と恋愛関係を結べない。モノアモリーの規範が常識になっている社会だからこそ、ルイーズのような存在はパージされる。

結局のところ、現代における恋愛とはいかにしてモノアモリーの規範に適合するかの問題でしかないのではないか。誰だって束縛を逃れて浮気したい。しかし、それをすると相手は別れを切り出してくる。関係を続けたいのだったら行きずりの欲望を抑えるしかない。お互いが欲望を抑えることによってようやく恋愛関係が維持される。良くも悪くも市民社会とはそういうもので、我々は制限された自由の中、他人の権利に気を配りながら生きている。何人たりとも逸脱は許されない。みんな平等なのだから。つまり、市民社会とはみんなが平等に不自由を受け入れる社会なのである。