海外文学読書録

書評と感想

ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』(1961/仏=伊)

★★★

パリ。書店員のエミール(ジャン=クロード・ブリアリ)はストリッパーのアンジェラ(アンナ・カリーナ)と同棲していた。そのアンジェラが唐突に赤ちゃんが欲しいと言い出す。エミールはその申し出を拒否する。アンジェラは他の男に頼むことに。その相手はエミールの友人アルフレードジャン=ポール・ベルモンド)だった。

映像や音楽で小技を効かせていて面白かった。今見ると洒落臭いが、その洒落臭いところがゴダールの美点である。

映像で面白かったところ。セリフごとにカットを割る際、カットごとに人物の位置関係を大胆に変えている。屋内で男女2人が話すシーンだ。このカット割りがとても良かった。また、フライパンに乗った目玉焼きを上に放り投げて受け止めるシーンがある。ここは物理的にあり得ないようなカット繋ぎをしていて笑ってしまった。目玉焼きにそんな滞空時間ないだろう、と思わずツッコんでしまう。さらに、女2人が外で会話している間、カメラが道行く人々を映している。彼らの反応から察するにおそらく許可を取ってない。こういうゲリラ撮影もヌーヴェルヴァーグらしくてほっこりした。

音楽で面白かったところ。歩いているとき突然雑踏の音が消えて無音になる。ミュージカルシーンと思わせておいて歌っている間ピアノの伴奏が止まる。わざと大音量の劇伴を流してセリフを聞き取りづらくする。そもそも各所で劇伴が流れるが、いまいち統一感がない。どれも突然始まって突然終わっている。どうやら音楽で違和感を作り出すのが本作の眼目にあるようだ。当時はこれが批評的だったのだろう。今見ると洒落臭いが、その洒落臭いところがゴダールの美点である。

洒落臭いと言えば、カップルが本のタイトルで会話するシーンがある。これがめちゃくちゃ洒落臭かった。なぜか『花束みたいな恋をした』を連想したが、同作にこういうシーンはなかったと記憶している。でも、麦くんと絹ちゃんだったらしていてもおかしくない。これは偏見だが、サブカルカップルにありがちなコミュニーケーション方法ではないか。つまり、自分たちが文化的な人間であることを確認し合うための自慰行為。こんなの実際にやられたら気持ち悪くてサブイボが出てくるが、サブカルにとってカルチャーは自己愛を満たすために存在するのだから仕方がない(我々おたくには分からない価値観だ)。見かけたら黙って殺虫スプレーを吹きかけるのが吉である。このシーンを見てサブカルって気持ち悪いなあと思った。

ストーリーはいたってシンプルで、身を固めたくないエミールに対してアンジェラが結婚圧力をかけている。普通、付き合っている女が「子供が欲しい」と言ってきたらそれは求婚のサインだ。男は甲斐性を試されている。エミールの駄目なところはそれを拒否したところだ。だから話がこじれてしまった。第三者アルフレードを巻き込むことになった。終盤はアンジェラがわざと浮気をしてエミールの決断を誘っているようで、恋の駆け引きとはこういうものかと感じ入る。アンジェラはバカっぽそうに見えて意外とバカじゃない。女の手練手管を使いこなしている。

再び映像で面白かったところ。恋人同士が少し離れた場所で睨み合っている。ところが、次のカットでいきなり抱き合ってキスしていた。映画もまた編集である。このシーンは奇を衒っているようでストレートな喜びに溢れていた。