海外文学読書録

書評と感想

ルネ・クレール『巴里祭』(1933/仏)

★★★

革命記念日前夜のパリ。タクシー運転手のジャン(ジョルジュ・リゴー)と花売りのアンナ(アナベラ)は口喧嘩をしながらも、お互いに惹かれ合っていた。ところが、ジャンのところに元カノのポーラ(ポーラ・イレリ)が帰ってきたことで、ジャンとアンナは破局してしまう。その後、アンナはカフェの店員に、ジャンは泥棒の一味に加わるのだった。

パリの描写が19世紀フランスの自然主義文学みたいだった。作家で言えばエミール・ゾラを彷彿とさせるというか。パリの人たちの遠慮のないやりとりにいちいち驚いてしまう。

この映画、とにかく見知らぬ人同士で言い争うのだけど、それが殴り合いの喧嘩にまで発展せず、むしろ友達になってしまうのだからすごい。彼らにとって口論は挨拶みたいなものなのだ。老いも若きも男も女もとにかく口が達者で、自分の意見をまくし立てている。その押しの強さはまるでアメリカ人のよう。気の弱い人間はまず生きていけないだろうと思わせる。本作で描かれた下町の人間のたくましさは特筆すべきで、この時代はまだ19世紀の気風が残っていたのだなと感心する。

白髪の老紳士はサイレント映画の登場人物みたいで、その分かりやすくコミカルな動きが物語に彩りを与えていた。当時はトーキーになって間もないから、こういう人物がリリーフ的に起用されていたのだろう。終盤ではなぜかクラブで拳銃を磨いていて周囲を騒がせている。その突拍子もないムーブに懐かしさをおぼえた。

古い映画なので映像面は物足りない。セット撮りのせいか、十分な物量を投入できておらず、舞台劇よりはいくぶんマシな程度である。しかしたまに秀逸な表現があって、たとえばジャンとアンナが雨宿りしながらキスをするシーンは素晴らしい。ここは同じようなシチュエーションが2回あって、2回目は1回目の変奏である。ベタと言えばベタだけど、2人がよりを戻すにあたって印象的な絵を見せている。

何も盗めない泥棒コンビが本筋に絡んでくるところは意外である。元カノのポーラが悪女っぽいところはフィルム・ノワールへの接近を感じさせるものの、終わってみればジャンとアンナの仲をかき回す存在でしかなかった。そもそもポーラがいくら邪魔をしても観ているほうとしては結末が分かりきっている。このような作劇の稚拙さは時代の制約といった感じで、現代人が観ると物足りない。