海外文学読書録

書評と感想

ジャン=ピエール・メルヴィル『いぬ』(1963/仏)

★★★

刑務所から出所したモーリス(セルジュ・レジアニ)は妻を殺した男ジルベール(ルネ・ルフェーヴル)を殺害、ジルベールが強盗して手に入れた宝石類を持ち出して空き地に埋めた。親友のシリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)はかねてから密告者という噂があったが、モーリスは彼に仕事の協力をしてもらう。ところが、モーリスは警官隊に包囲された。モーリスはシリアンを疑う。

複雑な脚本でびっくりした。密告者を巡って捻った展開が見られる。ちょっとしたサプライズがあるというか。しかも、それでいてフィルム・ノワールらしいB級感も漂っている(車を運転するシーンが合成なのに面食らった)。映像面における陰影の深さはこのジャンルの醍醐味と言えよう。ある人物が今までやってきたことの種明かしをしたり、後付けの回想で次のシーンを導出したり、辻褄を合わせるようにプロットを継ぎ接ぎしているところが無骨である。これはつまり、早くて安くてそこそこ美味い映画なのだ。ジャンルの様式美を頑なに守る。フィルム・ノワールが商業上の要請で作られていることが分かった。

勘違いやすれ違いで共倒れになる展開は神話のようである。実際、こういう悲劇があってもおかしくない。そして、帽子は密告者の象徴であるが、敢えてこの意味を冒頭で解説し、ラストも帽子のショットで締めくくるところが粋である。確かにシリアンは帽子がトレードマークなのだが、話はそう単純ではないのだ。密告者の象徴である帽子が、勘違いやすれ違いの象徴にすり替わる。そこが皮肉だし巧妙でもある。

シリアンをアンチヒーローとして印象づけるシーンが強烈だ。シリアンはテレーズ(モニーク・エネシー)という女から情報を聞き出すため、彼女に暴行を働く。ビンタして気絶させ、縄で体を拘束し、首をベルトで吊る。その後、シリアンはテレーズを始末するのだった。しかも、テレーズはモーリスの女である。シリアンはなぜこんなことをするのだろう? それにはちゃんとした理由があるのだが、この時点では何も分からない。シリアンがアンチヒーローであることを、躊躇いなく暴力を行使するギャングであることを印象づけている。

映像面ではフィルム・ノワールらしく陰影が深いところがいい。人物が出てきても最初は暗くて顔が見えない。敢えて顔の部分が陰になるように映している。屋内でドアを開けて部屋に入ってくるシーンや、空き地で宝石を掘り出すシーンなどは代表的だ。随所でその効果を発揮している。そして、普段暗い映像だからこそ昼の明るい映像がアクセントになっている。明と暗でメリハリをつけているところが良かった。

それにしても、日本において警察は合法やくざと称されるが、フランスでも警察が合法やくざぶりを発揮していて面白い。刑事がシリアンを尋問するくだりにその本質が表れている。ハッタリ・カマかけ・脅迫は当たり前だし、こいつらだったら証拠を捏造してもおかしくないと思わせる。ギャングと同じくらいお近づきになりたくない存在だ。